おてらからのおたより ―平成27年8・9月のことばー
「悲しい時に泣いてくれる人のいることは、泣きながらも幸せだ」 「私の子供は今どこにいるんですか」 震災後、多くの遺族に問われた言葉です。どこかで迷っているですか、苦しんでいるんじゃないですか、と遺族自身が大変悩まれ苦しんでいました。 「大丈夫ですよ。どこで、どんな亡くなられ方であっても、阿弥陀様が必ず救い摂ってくださるから…。何の痛みも苦しみもない、極めて健やかで安らかな西方極楽浄土に救い摂ってくださるから…。亡き人も皆さん自身も共に救われ、また愛おしい方と再会出来ますように共々にお念佛をお称えしましょう。」 遺族は、辛く悲しく寂しい想いを抱えながらも、大切な方との再会を夢見てお念仏を称え、何とか4年半を立ち続けてきました。 当時、中学3年生の息子を亡くした彼女もそんな一人です。 【願い】 どうか、秀を返してください。 私と秀の命を取りかえてください。 それもダメなら、せめて、私も秀と一緒に連れていってください。 秀に逢わせてください。 どうか、秀が苦しんでいませんように…。 どうか、秀が泣いていませんように…。 いつか、いつの日か、その時が来たら、必ず、秀に逢えますように。 『哀と 愛と 逢いと…』(つむぎの会・蓮の会) 巷では震災が既に終わったことのように捉えられています。 しかし、この母親のように、我が子を亡くした苦しみに苛まれている人がいます。いつまでも学校や仕事から帰って来ない家族を待ち続けている人がいます。カビだらけの仮設住宅で先の見えぬ毎日をおくりながら、たった一人でご飯を食べている人がいます。 まだまだ震災中。引き続き心を向けていただきますようお願い申し上げます。 合掌