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おてらからのおたより  ―平成27年1月のことば― 

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  「私がしなけりゃ 誰がする 今しなければ いつできる」 新年が皆様方にとって幸多い年となり、そして、世界が昨年より少しでも平和になるようお祈りいたします。本年もどうぞよろしくお願いいたします。 〝震災中〟3年 10 カ月  あたたかな我が家ではなく仮設住宅で3度目の正月を迎えた人がいます。寺の行事は元より、ご詠歌や念佛講にも進んで参加されていたAさんは、石巻の西光寺の檀家さん。寺の門前に住み、小さな雑貨屋を営んでいましたが、平成 17 年にご主人を亡くされ、平成 20 年には長男にも先立たれ、お嫁さんと孫娘と3人で仲良く暮らしていました。来月からは東京の大学に進学する孫ともいよいよ離れて暮らさなければならない、そのことを渋々受け入れた矢先、あの震災が起きてしまいました。 街の病院にいたAさんは、我が身のことより仏壇の花やご主人と長男の位牌が気になり、周りの制止を振り切って自転車で我が家へと向かい、仏壇の無事を確認後、すぐに高台へと向かい、間一髪逃げきることが出来ました。そのわずか数分後には、仏壇もろとも住み慣れた我が家は跡形も無く流されてしまいました。 しばらくは避難所や親戚の家にお世話になっていましたが、何時までもそうはしていられません。3人は話し合い、孫とお嫁さんの二人は、孫の進学に伴って後ろ髪を引かれながらもお嫁さんの実家のある東京へ引っ越し、残されたAさんは、周りには田んぼしかなく、誰ひとり知り合いもいない仮設住宅に一人入居することになりました。それから3年…。 最近では、復興住宅の話が具体的になり始め、Aさんも生活が便利な場所を望みますが、倍率が高くなかなか希望通りにはいきません。「1年半後か?2年後か?お寺の近くに建つ復興住宅に入っからさ」 そう言って微笑むAさんは、昨年末、 80 歳になりました。  丁度、今頃はお婆さんの美味しい料理を食べたいと里帰りした孫と、仮設住宅で二人の正月を過ごしている筈です。 結露が酷く、カビが生えるプレハブの仮設住宅から一刻も早く復興住宅へ移り、穏やかな正月を迎えられることを願ってやみません。   風化している?させている?  震災から4年が経とうとしていますが、震災以前の生活と変わりなく過ごしていると、同じ仙台市であっても、同じ宮城県内であっても、大変な暮らしをしている人々の事