投稿

2月のことば

イメージ
  「すべてのものは うつりゆく おこたらず つとめよ」 元日の朝の大地震によって能登の人々の生活が大きく変わってしまいました。亡くなられた方には謹んでお念仏を申し上げますと共に、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。   お釈迦様は、現実をありのままに正しく素直に受け容れることが出来れば、「思い通りにいかない」ということから生じる様々な苦しみから逃れることが出来ると、私達にお示しくださいました。 しかし、『情』というものを持ち合わせる私達は、頭では理解していても現実を受け容れることはとても難しいことです。 今月 15 日は、お釈迦さまが亡くなられたことを悼む涅槃会です。お釈迦さまが涅槃に入られた様子が描かれた涅槃図をお飾りし、お釈迦様のご遺徳を偲びます。 涅槃図には、多くの神々や仏さまやお弟子の方々、一般の信者や数々の動物に至るまでがお釈迦様の死を悼んで悲しみにくれている様子が描かれています。お釈迦さまの傍らにいて「ありのままを受け容れなさい」との教えを学ばれ修行された方々であっても、なかなか現実に向き合うことが出来ない 難しさを物語っています。 お釈迦様は、このような私達のためにお念仏の御教えを明らかにされ、多くの御教えの中から法然上人はお念仏の正しき御教えを示されました。 法然上人は「そもそも、朝に咲いた美しい花であっても、夕暮れに吹く風に散りやすく、夕暮れに草木に付いた露のしずくも、朝の光にやすやすと消えていくのです。人はこうした道理を知らずに、永遠に続く栄耀栄華を願い、こうした道理を分からずに際限のない命を願うのです。 けれども、そのような思いを巡らすうちに、無常と言う風がいったん吹いてしまえば、はかない露にも似たこの命は永久に消え去り、魂はたった一人で行方の知れぬ旅に彷徨ことでしょう。 妻や子が同じ家に暮らしていたとしても、死出の旅路を共にしてくれる訳ではなく、蔵の中は七種の宝の山で満たされていたとしても、死出の旅路には何の役にも立ちません。ただ我が身につき従うのは後悔の涙だけなのです。 いよいよ閻魔大王が待ち受ける法廷に至ったならば、大王によって我が罪の浅い深いを見定められ、その報いの軽い重いが審判されることでしょう。大王は私に「汝は、釈尊の教えが広まっている人の世に生を受けながら、何故に仏道を修める

1月のことば

イメージ
「新年に 命の尊さを かみしめる」  ナムアミダブツ  皆様がお念仏をお称えされ、健やかな一年になりますよう心からお祈り申し上げます。本年も何卒よろしくお願いします。 いよいよ本年は、法然上人が承安5年(じょうあん・1175)に浄土宗を開かれてから850年を迎えます。 なぜ法然上人が、それまでの仏教の教えではなく、新しいお念仏の御教えを明らかにされたのか。 それは“私とは一体どういう者なのか”と言うことを突き詰められたが故にお念仏の御教えに辿り着かれました。 法然上人は、長承2年(ちょうしょう・1133)4月7日、美作国(現在の岡山県)にて、武士の子として生を享けられ勢至丸と名付けられます。勢至丸様9歳の時に、夜討ちにあった父の枕辺で「敵を恨むことなく早く出家を果たし、我が菩提を弔い、自らも悟りを求めよ」との遺言に従い仏教の修学に励まれます。 15 歳にて比叡山に登られた勢至丸様は、学問修行に打ち込まれ、遂に出家を果たされ、「法然房源空(ほうねんぼうげんくう)」と言う名を授かります。その後も学問を極め尽くされ「深広の法然房(ふかひろのほうねんぼう)」と称される程でしたが、そこに法然上人が求めるものはありませんでした。 そもそも仏教を開かれたお釈迦様は、「この世は苦であり」、その原因である煩悩を滅すれば、苦から逃れることが出来るとお諭しです。 しかし、法然上人が学べば学ぶほど、修行に打ち込めば打ち込むほど、自身の煩悩を滅することが出来ないことに苦悩されるのです。 心の中では、欲する心や瞋りの心に常に揺れ動かされ、この世が無常であることですら本当に受け止める事など出来ない。こんな私でさえも救われる教えは無いのかと探し求められた末に、善導大師のお書物『観経疏(かんぎょうしょ)』の一文に導かれるのです。 そこには、 「一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥に時節の久近を問わず。念々に捨てざる、これを正定の業と名付く。かの仏の願に順ずるが故に」 (ただひたすら、南無阿弥陀仏と称え、いつどんな時でも、時間の長短に関わらず、絶やすことなく称え続ける。これが極楽浄土に往生できる正しき行である。それは阿弥陀様自らが、我が名を呼ぶ者を必ず

12月のことば

イメージ
「かける言葉のやさしさに、かえる言葉のなおやさし」 この季節を迎えると、あちらこちらから喪中のあいさつ葉書が届く。 亡くなられたことを知っていた人、葉書をもらって初めて知った人、身内を亡くされた人など、様々な不幸が知らされる。 存じ上げない人も多いが、やはり遺族の痛みを感じ、お念仏が口からでる。 面識のない人に対しても供養の想いを向けられるお念仏は、何と有難いものかと改めて考えさせられる。 年末。 本当は何も変わらないひと月のはずなのだが、何故か気持ちがバタバタとなる今月。 お念仏を称える時のように、いつも以上に言葉に気をつけたいものだ。

10月のことば

イメージ
  「芋は 芋のいのちなり 合掌して いただこう」   「暑いですね~」から「凌ぎやすくなりましたね~」へと挨拶が変わりました。 私の着る作務衣も、まだ夏物とは言え、長袖の上着を羽織るようになりました。 『食の秋』を彩る話題も耳にします。さんま、新米、ぶどう、栗、芋などなど。もう味わわれたでしょうか。   近ごろ、テレビや旅行の広告など見ると、「食べ放題」「飲み放題」「お得」などと言う言葉を良く目にします。 一つの食べ物を分け合って食べた世代としては、何ともそそられる魅力的な言葉の数々なのですが、その前に。 私たちが口にする食べ物は、元々は一つ一つの「いのち」であったことを決して忘れてはいけません。 そして、私たちの口に入るまで多くの人々の労があって、口に出来ていることを感謝しなければいけませんね。   「いただきます」、「ごちそうさまでした」とともに、食事を作ってくれた目の前の人にも感謝を忘れずに秋を満喫しましょう。   〔豊作の柘榴(ざくろ)〕

9月のことば

イメージ
  「秋彼岸 亡き人偲び おはぎ喰う」 昼間はまだ暑さが残るものの、朝夕の風に秋を感じます。 セミのにぎやかな声もいつしか失せ、秋の虫の鳴き声に夏の終わりを教えられます。 温暖化が象徴するように、余り季節感が無くなってしまいました。春にはのどかな草原を散歩し、夏には縁側でスイカを食べ、秋には十五夜を愛で、冬には枯葉を集めて焼き芋を焼く … 。 人それぞれに、季節ごとのささやかな楽しみがあったものですが、いつのまにか“思い出”に変わってしまいました。 スーパーやコンビニには、その時期にしか食べることが出来なかった食べ物も我が物顔で陳列されています。 我々の欲求が当たり前にしてしまったんですね。 「いま」を「昔」に戻すことは出来ませんが、気分だけでも季節を味わいませんか。 まもなく秋のお彼岸を迎えます。 普段から食べているいつもの「おはぎ」 かもしれませんが、気分だけは特別の「おはぎ」を食べて、 あの懐かしい人に想いを寄せませんか。 あなたの想いに、目を細められているかもしれませんよ。

8月のことば

イメージ
  「風が吹く 仏きたまう けはいあり」 東京から宮城に戻り 25 年の年月が過ぎました。 当時お世話になった方々と会う機会もめっきり減って、久しぶりにお会いする時には、悲しい再会ということも増えてきました。 6 月のこと。 旧知のお寺から手紙が届き、「 T さんも早目の住職交代の連絡かな?」などと想像しながら文面を見ると、本人が亡くなったとのしらせ。葬儀の日時を知らせる連絡でした。 年齢もまだ若く、患っているとも聞いていませんでしたので、状況を受け入れられず、何度も何度も文面を読み返しましたが … 。 葬儀当日、穏やかな表情の T さんに「またね」との言葉をかけ、お念仏を称え、お別れしました。 今年の夏はTさんを偲び、Tさんのように優しい穏やかな音色の風鈴をもとめ吊るしている。 優しい音色を耳にするたびに、Tさんがそばにいるように感じる。

7月のことば

イメージ
  「 夢を見て 熟考している間に、時は過ぎ去る。 (アルフレッド・アドラー)」    梅雨入り前の気温が高かったせいか、昨年よりも10日以上も早く蓮の開花シーズンが始まりました。今年も優美な花が、檀家さんや参詣者など多くの人々を楽しませてくれています。     これからの時期、寺では施餓鬼会(せがきえ:餓鬼道に堕ちてしまった餓鬼たちに施しをし、積んだ功徳をご先祖に振り向ける法要)や盂蘭盆会(うらぼんえ:いわゆるお盆。過去七代のご先祖を供養する法要)が催され、一年のうちで最も多くの参詣者が訪れます。そんな参詣者の中には毎年蓮の花を楽しみにしている方も多くいます。  手塩にかけた蓮が次々と咲いてくれるのはとても嬉しいのですが、咲くペースの早さに施餓鬼会や盂蘭盆会の時期には蓮の花のシーズンが終わってしまうのではないかと、いま若干の不安を感じています。  そんな心配をしても何の徳にもならず、憂いでも如何ともし難く、なるようにしかならないのは分かっているのだけれども、人間の感情は1+1=2とは中々割り切れませんね。 自分の捉え方ひとつで余計なストレスを抱えていることに気付かされます。   今月のことばは、心理学の父と称されるアドラーの言葉。 「夢を見て 熟考している間に、時は過ぎ去る。」   雨の日には雨を恨むのではなく、雨の日に出来ることをすればいいのに、いつまでも雨を恨めしいと思いがちです。半年後の受験に失敗したら … 、 今度の健康診断で何か引っかかったら … 、 あの時こうしておけば … 、などなど、憂いでも現状は何一つ変わりませんし、時は待ってくれません。  そんな余計なものを背負いこまないように、猫背にならずに胸を開いて、新鮮な空気をたくさん吸って、暑さや繁忙で心も体も疲弊する時期を乗り切りましょう。