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10月のことば

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  「掃けば散り 払えばまたも 散り積もる 人の心も 庭の落ち葉も」   秋彼岸も過ぎ、境内も一気に秋めいてきました。 木々の葉は色づき、毎日のように落ち葉掃除に追われています。 お参りに来られた方々が、境内にいるひとときだけでも穏やかな気持ちで過ごしてほしい——そんな願いを込めて掃除をしていますが、実は私自身にも多くの効用があります。 作業中に無心になれたり、考え事が整理できたり、掃き清めることで清々しい気持ちになれたり、道行く人と朝の挨拶を交わして晴れやかな気分になれたりと、数えればきりがありません。 しかし一方で、雨が降れば「今日は休める」と安堵することもありますし、掃いたそばから葉が落ちてくると、無常を恨めしく思うこともあります。 さらに言えば、掃除をさぼって怠け心やだらしなさを笑われないように、人目を気にして掃除をしているという側面も、まったく無いとは言い切れません。 古くから坊さんの修行は「一、掃除 二、勤行(三、学問)」と称され、勤行や学問よりもまず「掃除」が重んじられてきました。 それは、先に述べた効用以上に、自らの心の浅ましさを見つめるために、掃除が修行の筆頭に置かれているのかもしれません。 心の奥底に潜み、掃いても掃いても散り積もる「着飾る心」などの煩悩を抱えていることに気付き、反省しながら日々を過ごすことが大切なのでしょう。 そして、掃いても掃いても滅することのできない煩悩を抱えたままの私たちを救ってくださるのが阿弥陀さまです。 ナムアミダブツ、ナムアミダブツと、日々お念仏をお称えしてまいりましょう。                                     合掌

9月のことば

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  「思いは見えないけれど 思いやりは見える (宮澤章二)」   四半世紀ほど前に坊さん仲間から、私が話す日本語のおかしさを指摘されたことがありました。思わぬ指摘と無学さを恥じて、「正しい言葉の使い方」というような類いの本を数冊読み漁りました。 その中で最も記憶に残ったのが「他人事」という言葉で、「たにんごと」ではなく「ひとごと」と読むのが正しいと学びました。 以来、気をつけるようにしていますが、昨今のテレビやマスメディアでは、むしろ「たにんごと」と耳にすることの方が多いように感じます。 この「たにんごと」と同じように、以前には無かった「自分事」(じぶんごと)という言葉も良く耳にするようになりました。 この「自分事」という言葉が生まれた背景には、本来「わがこと」と受け止めるべきことを、「われ関せず」と他人事にしてしまうようになってしまったことがうかがえます。 マザーテレサは、「愛情の反対は無関心」と言っています。 熊本やベネゼエラ・コロンビアの地震、千葉や福井などの水害、チベットの土石流など、心を寄せるべき災害が沢山起きています。 思いを寄せるだけではなく、自分事として見える形で心を寄せたいものです。 今月は秋のお彼岸。 亡き人への思いも、見える形で。

7・8月のことば

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    「君しばし 弥陀のみもとに 待ちたまえ やがてはともに 同じ蓮(はちす)に」 東日本大震災において大切な人を亡くされた方の中には、どんなに凍えるような凍てつく日でも、どんなに汗が流れる暑い日でも、入浴時に浴槽に入れない 人がいます。 それは、亡き人への後悔の念や申し訳なさなどからです。 そんな人々が、自責の念に捕らわれることなく少しでも穏やかな日々を過ごせることを願い、東日本大震災慰霊のための『約束のあみださま』を造立しました。 名称は、阿弥陀さまが私達に対して「我が名を呼ぶ者を必ず救い摂る」と誓われたお約束から『約束のあみださま』と命名し、阿弥陀様に極楽の蓮の台に救われた方々が、そのみもとで安らかに健やかに過ごされている様子をあらわしました。 遺族の方々や心に深い悲しみを抱えた人々が『約束のあみださま』に手を合わせることで、わずかでも心穏やかに過ごされるように願っています。 この世を去らなければならないのは世の定めですが、お念仏を称える私達は先立たれた方と同じ蓮の台において再び逢えることが約束されています。 それまで大切な人にはしばしお待ちいただき、自らの時間を大切に過ごしたいものです。                            合掌

6月のことば

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  「与えることは失うことではなく 心に豊かさをもたらす」 先日、地下鉄に乗っていた時の事。車内は混雑していて空いている席はありませんでした。何駅が過ぎ、とある駅で大きなベビーカーを押しながら 2 人の幼い兄弟を連れたお母さんが乗車してきました。 かつての我が家を見るようで、「お母さん、一人で大変だな」なんて眺めていたら、優先席に座っていたおじさん(おじいさん?)2人がサッと立ち上がり、そのお母さんと幼子たちを席に座らせました。1人の方は 2 つ先の駅で何事も無かったように下車し、もう1人の方は吊革に摑まりながら兄弟に話しかけ、2人はニコニコと微笑んでいます。 2人のおじさん達のとても手際よく、とても自然な行動を目にし、見ていた私も 心豊かになり 思わず笑顔になりました。 仏教者が心掛け実践すべきことの1つに布施行(ふせぎょう)があります。 布施は清らかな心で他者に施しをすることですが、施すものは物質的な財物だけではありません。 無財の七施と言って財物が無くても他者に布施を為すことのできる七つの行いがあります。 ①眼施(げんせ)相手を憎むことなく、好ましい眼差しで接する事。 ②和顔悦色施(わげんえつじきせ)和やかな喜びの顔つきで接する事。 ③言辞施(ごんじせ)相手に柔らかい思いやりのある言葉を掛ける事。 ④身施(しんせ)相手を敬い、我が身を惜しむことなく、他に尽くしていく事。 ⑤心施(しんせ)善い心で相手の立場にたち心を掛けていく事。 ⑥床座施(しょうざせ)相手に座席を設けたり、譲ったりする事。 ⑦房舎施(ぼうしゃせ)自分の家を一夜の宿として提供する事。 できること、できないことがあるにせよ、 せめて柔らかな眼差しで人に接したいものですね。

5月のことば

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  「春風をもって 人に接す」 薫風かおる季節を迎えました。流れる風が見えるかのような麗らかな春の陽が心地良いです。   先日、友人からこんな話を聞かされました。 友人が小学生の時に贈った母の日のプレゼントと手紙を、未だにそのお母さんが大切に保管されているというものでした。 ただ喜ぶ顔が見たくてお小遣いをコツコツ貯めた想いに温かな気持ちになりますし、半世紀近く過ぎた今も宝物として大切にされている母の想いに、こちらまで豊かな 気持ちになります。   「春風をもって 人に接す」   今月は母の日の月。 綺麗な花とあたたかな言葉を贈りましょう。 もし、すでに鬼籍にあれば、お墓やお仏壇の母に想いを伝えましょう。きっと、喜んでくれますよ。 そして周りの人々にも、麗らかな春の風のような気持ちと言葉で接しましょう。より心地良い月になりますように。

4月のことば

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  「水滴も やがて水瓶を 満たす(法句経)」   「水滴も やがて水瓶を 満たす(法句経)」 春を迎え、入学式や入社式で真新しいスーツ姿の人たちを多く目にします。陽気と相まって世の中が晴れやかにも見えますが、私はこの季節を迎えると、志望高校に合格できず辛かったことを思い出します。 当時は自らを夢破れた敗者のように思い、世の中の人がみな、私を憐れんでいるような気がしました。通学のために親元を離れて暮らし始め、週末に電車で帰省するのですが、途中の車内から入学できなかった高校が見えるために、しばらくはその高校が見えない側に座るほどでした。 でも、あの時の悔しい思いや辛い経験は、今の肥やしになっています。親元を離れて暮らした経験は今でも役立っていますし、希望通りにいっていたならば経験できなかったことを沢山経験出来ました。 今は空っぽに思える水瓶も、少しでも・僅かでも・歩み続けていれば、いつか一杯になる時が来ます。   お念仏も称え続けることが大切です。 中には悲しさや辛さから称えている人もいるかもしれません。 でも、先立たれた方が導いてくれたお念仏を称え続けることで、いつか水瓶が溢れんばかりの幸せな再会を果たすことが出来ます。 「水滴も やがて水瓶を 満たす」 日々のお念仏を大切に。

3月のことば

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  「 生きているということ いま生きているということ(谷川俊太郎)」   今年もこの季節を迎えた。   人によっては、寒さがやわらぎ春を感じられる季節。 人によっては、受験の結果を待つ不安な季節。 人によっては、花粉のせいで鬱陶しい季節。 人によっては、親しい友人との別れの季節。 人によっては、新しい生活が待ち遠しい季節。 人によっては、年度末で猫の手も借りたい季節。 人によっては、顔をあげたくもない季節 人によっては、テレビを見たくない季節。   人それぞれの季節。   「生きていること いま生きているということ」   大切に時を刻みたい。