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7・8月のことば

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    「君しばし 弥陀のみもとに 待ちたまえ やがてはともに 同じ蓮(はちす)に」 東日本大震災において大切な人を亡くされた方の中には、どんなに凍えるような凍てつく日でも、どんなに汗が流れる暑い日でも、入浴時に浴槽に入れない 人がいます。 それは、亡き人への後悔の念や申し訳なさなどからです。 そんな人々が、自責の念に捕らわれることなく少しでも穏やかな日々を過ごせることを願い、東日本大震災慰霊のための『約束のあみださま』を造立しました。 名称は、阿弥陀さまが私達に対して「我が名を呼ぶ者を必ず救い摂る」と誓われたお約束から『約束のあみださま』と命名し、阿弥陀様に極楽の蓮の台に救われた方々が、そのみもとで安らかに健やかに過ごされている様子をあらわしました。 遺族の方々や心に深い悲しみを抱えた人々が『約束のあみださま』に手を合わせることで、わずかでも心穏やかに過ごされるように願っています。 この世を去らなければならないのは世の定めですが、お念仏を称える私達は先立たれた方と同じ蓮の台において再び逢えることが約束されています。 それまで大切な人にはしばしお待ちいただき、自らの時間を大切に過ごしたいものです。                            合掌

6月のことば

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  「与えることは失うことではなく 心に豊かさをもたらす」 先日、地下鉄に乗っていた時の事。車内は混雑していて空いている席はありませんでした。何駅が過ぎ、とある駅で大きなベビーカーを押しながら 2 人の幼い兄弟を連れたお母さんが乗車してきました。 かつての我が家を見るようで、「お母さん、一人で大変だな」なんて眺めていたら、優先席に座っていたおじさん(おじいさん?)2人がサッと立ち上がり、そのお母さんと幼子たちを席に座らせました。1人の方は 2 つ先の駅で何事も無かったように下車し、もう1人の方は吊革に摑まりながら兄弟に話しかけ、2人はニコニコと微笑んでいます。 2人のおじさん達のとても手際よく、とても自然な行動を目にし、見ていた私も 心豊かになり 思わず笑顔になりました。 仏教者が心掛け実践すべきことの1つに布施行(ふせぎょう)があります。 布施は清らかな心で他者に施しをすることですが、施すものは物質的な財物だけではありません。 無財の七施と言って財物が無くても他者に布施を為すことのできる七つの行いがあります。 ①眼施(げんせ)相手を憎むことなく、好ましい眼差しで接する事。 ②和顔悦色施(わげんえつじきせ)和やかな喜びの顔つきで接する事。 ③言辞施(ごんじせ)相手に柔らかい思いやりのある言葉を掛ける事。 ④身施(しんせ)相手を敬い、我が身を惜しむことなく、他に尽くしていく事。 ⑤心施(しんせ)善い心で相手の立場にたち心を掛けていく事。 ⑥床座施(しょうざせ)相手に座席を設けたり、譲ったりする事。 ⑦房舎施(ぼうしゃせ)自分の家を一夜の宿として提供する事。 できること、できないことがあるにせよ、 せめて柔らかな眼差しで人に接したいものですね。

5月のことば

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  「春風をもって 人に接す」 薫風かおる季節を迎えました。流れる風が見えるかのような麗らかな春の陽が心地良いです。   先日、友人からこんな話を聞かされました。 友人が小学生の時に贈った母の日のプレゼントと手紙を、未だにそのお母さんが大切に保管されているというものでした。 ただ喜ぶ顔が見たくてお小遣いをコツコツ貯めた想いに温かな気持ちになりますし、半世紀近く過ぎた今も宝物として大切にされている母の想いに、こちらまで豊かな 気持ちになります。   「春風をもって 人に接す」   今月は母の日の月。 綺麗な花とあたたかな言葉を贈りましょう。 もし、すでに鬼籍にあれば、お墓やお仏壇の母に想いを伝えましょう。きっと、喜んでくれますよ。 そして周りの人々にも、麗らかな春の風のような気持ちと言葉で接しましょう。より心地良い月になりますように。

4月のことば

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  「水滴も やがて水瓶を 満たす(法句経)」   「水滴も やがて水瓶を 満たす(法句経)」 春を迎え、入学式や入社式で真新しいスーツ姿の人たちを多く目にします。陽気と相まって世の中が晴れやかにも見えますが、私はこの季節を迎えると、志望高校に合格できず辛かったことを思い出します。 当時は自らを夢破れた敗者のように思い、世の中の人がみな、私を憐れんでいるような気がしました。通学のために親元を離れて暮らし始め、週末に電車で帰省するのですが、途中の車内から入学できなかった高校が見えるために、しばらくはその高校が見えない側に座るほどでした。 でも、あの時の悔しい思いや辛い経験は、今の肥やしになっています。親元を離れて暮らした経験は今でも役立っていますし、希望通りにいっていたならば経験できなかったことを沢山経験出来ました。 今は空っぽに思える水瓶も、少しでも・僅かでも・歩み続けていれば、いつか一杯になる時が来ます。   お念仏も称え続けることが大切です。 中には悲しさや辛さから称えている人もいるかもしれません。 でも、先立たれた方が導いてくれたお念仏を称え続けることで、いつか水瓶が溢れんばかりの幸せな再会を果たすことが出来ます。 「水滴も やがて水瓶を 満たす」 日々のお念仏を大切に。

3月のことば

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  「 生きているということ いま生きているということ(谷川俊太郎)」   今年もこの季節を迎えた。   人によっては、寒さがやわらぎ春を感じられる季節。 人によっては、受験の結果を待つ不安な季節。 人によっては、花粉のせいで鬱陶しい季節。 人によっては、親しい友人との別れの季節。 人によっては、新しい生活が待ち遠しい季節。 人によっては、年度末で猫の手も借りたい季節。 人によっては、顔をあげたくもない季節 人によっては、テレビを見たくない季節。   人それぞれの季節。   「生きていること いま生きているということ」   大切に時を刻みたい。

2月のことば

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  「いいことが続かないのも 無常 悪いことばかり続かないのも 無常」   身を切るような風に、ついつい背中が丸くなってします。見上げる空もどんよりした日が多く、気持ちも何だか滅入ってきます。 姿勢も悪くなり、目に映る世界も知らぬ間に狭くなっています。   お釈迦様の教えである「諸行無常」という教えは、この世の物事はすべてがうつり変わり 常あるものなど無い、すべては変化し続けると示されています。 ところが当の私たちは、自らが幸せだと思うことが永遠に続けば良いと切実に願います。 楽しいこと、嬉しいこと、心地良い時間、かけがえのない環境など、誰もが失いたくないと目を背けても、移ろいゆくことこそが真実です。 一方でつらいこと、悲しいこと、目をそむけたくなるような状態も、無常の一コマです。   様々な状況にあっても、そこは到着点ではなく通過点でしかありません。 豊かなおもいの人は足元を見つめ、苦しい思いをされている人は大空を見上げ、共に「この世は無常、すべてのものはうつり変わる」と心にとどめたいと思います。

1月のことば

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  「照る月を おのが心に すみぬれば くらき路には 迷わざりけり」 《意訳》 阿弥陀様のお救い(照る月の光)を素直に我が心にいただけば、この世を暗くする憂いや煩いも払われ 信仰の道を迷うこともありませんよ   トランプ関税に米騒動、熊騒動に八戸沖の地震など … 。昨年は様々な「騒動」に動揺した一年でありました。それぞれの騒動は未だ続きますが、今年はあまり心が動かされずに日々過ごしたいものです。 心が落ち着き不安や心配がないことを「安心(あんしん)」と言いますが、仏教語では「あんじん」と読みます。浄土宗において「安心」は、私たちの心構えのことで、安心の「安」は安置するという意味です。 つまりお念仏を称える私たちにとっての安心とは、「 極楽を求め、阿弥陀様におすがりし 、 お念仏を称える 」ということをしっかりと心に安置する」ということです。 これら安心を揺るぎなくすることで、命尽きる時やその後の不安が解消されるのです。 昨年 4 月、義母を亡くしました。最期の時を過ごした病院の個室には、入院当初から小さな阿弥陀様をお祀りし、お念仏を称えておりました。 しかしながら、時間を共にした一人の人間が最期を迎えようとしていることは受け入れ難く、ベッドサイドのモニターに示される脈拍数や呼吸数、血圧などの変化に動揺していました。本人はより不安に駆られていたのかもしれません。 それでも少しずつ状況を受けとめ、最期は「大丈夫、もう頑張らくていいから。安心して行っていいから」とお念仏のなかで見送ることが出来ました。 法然上人のお言葉に 「弥陀の本願(ほんがん)ふかし、往生(おうじょう)はただ御(おん)こころにあるなり。ゆめゆめ御念仏おこたらず。決定往生(けつじょうおうじょう)のよしを存(ぞん)ぜさせたもうべく候(そうろう。」 「阿弥陀様が、我が名を呼ぶ者を救おうとなさる本願は、真に慈悲深いもので、私たちの往生は、もはや阿弥陀様の御心のうちに委ねられています。決してお念仏を怠ることなく勤め励んで、必ず往生するのだということをお知りになるべくです」とあります。 「安心」。 不安多きこの世の中ですが、阿弥陀様に極楽浄土へ救っていただくようにとの想いを揺るぎないものにし、日々お念仏をお称えしましょう。合掌