1月のことば
「人生の 坂に佛の 慈悲の杖」 ナムアミダブツ 新春を迎えました。皆様にとりまして佳き一年になりますよう心からお祈り申し上げます。 本年も何卒よろしくお願いします。 震災から早いもので十年を迎えます。おまけに十年目の世の中が、こんなことになるとは思いもしませんでした。一寸先も見えない私たちは、何を拠所にして過ごせばよいのでしょう。 昨年末、小さな頃から大変お世話になっていたSさんと言うお坊さんを亡くしました。Sさんは、私が小学校の時に親戚の寺の跡取りとして迎えられた方で、ある夏のお盆に西光寺へお手伝いに来られました。お盆ですから寺はとても忙しく、本人も疲れているはずなのですが、〝新しい親戚の兄ちゃん〟が出来て喜ぶ私や姉と、トランプをしたり落語を聞かせてくれたり、嫌な顔もせず可愛がってくれました。 私の中学校の入学式の時には、都合がつかない親の代わりに出席してくれたこともありました。 いつの間にか呼び名は〝S兄ちゃん〟から〝Sさん〟へと変わりましたが、面倒見は相変わらずで、私が慈恩寺に来てからは、葬儀や法要に呼んでくれて、様々な経験を積ませてくれました。 そんなSさん自身は、長女に跡取りの婿さんを迎え、二人の孫にも恵まれ、順風に過ごしてきました。しかし、5年ほど前、喉に癌が見つかり大手術を受け、住職を勤めながら 療養してきました。 以前は当たり前のように毎月顔を合わせていましたが、震災後は中々会えなくなり、手術をした頃には殆ど会う機会も無くなっていました。 一昨年の秋、見知らぬ番号から電話があり、相手はとても親しげに話してきます。けれども聞き覚えのない声。恐る恐る「すみません、どちらさまですか」と尋ねると、電話の相手は手術のせいで声が別人のようになってしまったSさんでありました。余りの変わりように戸惑いながら、無沙汰の事や誰だか分からなかった事をお詫びし、少しだけ話をして電話を切りました。 その後も会う機会を逸してしまい、残念ながらこの時が最後の会話となってしまいました。 仮通夜や密葬の時には、裏方の忙しさのせいか寂しさを感じませんでした。しかし、いざ火葬炉でのお別れの時になると突然様々な思い出が甦り、恥ずかしながらマスクに染みが出来るほど涙が溢れ出ました。 死んで終わりなら、私たちが進む先には絶望しかないでしょう。しかし、極楽