投稿

5月, 2022の投稿を表示しています

5月のことば

イメージ
  「逃れなき 終の闇路の 独り旅 仏よりほか 誰を頼まん」   4月2日から6月29日まで長野・善光寺で七年に一度のご本尊の御開帳が行われています。 善光寺のご本尊(阿弥陀如来)は、日本に一番最初に伝わったとされる仏様で、仏教が伝来した 552 年(欣明 13 年)、百済の聖明王から贈られたといいます。インド・中国・日本と渡ってきた「三国伝来」の阿弥陀様と言われています。 仏教美術的には善光寺式一光三尊阿弥陀如来像(ぜんこうじしき いっこうさんぞん あみだにょらいぞう、以下善光寺如来)とよばれ、三尊が納まるほどの舟形の一つの光背(後光)の前に阿弥陀如来や観音菩薩(向かって右側)・勢至菩薩(向かって左側)が配置されています。 阿弥陀如来の右手は、通常の来迎印( O Kサインのような印)とは異なり、人々の恐怖の心を取り除く施無畏印(せむいいん)、左手は慧刀印(えとういん、刀印ともいう。ピースサインの人さじ指と中指を閉じたような印)しています。観音・勢至菩薩は、胸前で両手の掌を水平に重ねた「梵篋印・ぼんきょういん」という印を結んでいます 。お参りされる際には、遠く見えないかもしれませんが、目を凝らし拝んでいただければと思います。 さて、善光寺と言えば「戒壇巡り」があります。本尊が祀られる内陣の下に降りていく階段があり、その階段を降りていくと室内は徐々に暗くなり、やがて真っ暗闇になります。この真っ暗闇の中を 進みますが、光が全くない暗闇は、例え同行の人がいたとしても、その人も見えず声しか聞こえません。そればかりか、どんなに目を凝らしても自分の手や指さえも見えず、壁を触る手の感触と床に触れる足の裏の感覚だけを頼りに歩き進みます。 そのうち方向感覚もおかしくなって、私が体験した時は、自分の存在さえも認められないような不思議な感じがしました。 出口までの僅かな時間の中で様々な思いがよぎります。それは、もし死んだらこうなるのでは?ということ。いわゆる臨死体験ですね。 死んだら右も左も上も下も分からない奈落の底に落ちるのでは?と思うと不安を通り越して恐怖を感じます。 実際には途中に錠前があって、その錠前に触れらることが出来ると「極楽行き間違いなし」とのことですが、古の人はこのような戒壇巡りを通じて、臨死体験をし、無常の世の中にある自分自身を見つめ、そのような