おてらからのおたより ―平成25年11月のことばー
「人の一寸は見ゆれど 我が一尺は見えず 」 苦節九年。楽天ゴールデンイーグルスが悲願の日本一になりました。我々だけではなく、未だに仮設住宅などで厳しい生活をおくられている人々にも大きな希望をもたらしてくれたと思います。 球団創立当初は、「俺、このあいだ勝った試合見たぞ!」「おら、まだ勝ったの見た事ね~」こんな会話が当たり前にされていました。ある時、あまりにも負けが続くことに腹を立てた私は、『楽天』という言葉に一体どんな意味があるのかを調べてみました。辞書には、楽天とは「世の中を楽観すること」とありました。では『楽観』を調べてみると、「将来のなりゆきに明るい希望的な見通しをつけること」とありました。さらに『見通し』を調べてみると、「こちらからあちらまでひと目に見えること」とありました。当時は将来の見通しなど立てることなど到底出来ないようなチームでしたが、『楽天』という言葉自身は、実は私達にピッタリな言葉だと気付かされました。それは、お念仏を称える私達は、最期臨終の夕べには、必ず阿弥陀様がお迎えくださり、極楽へと救われる。つまりこちら側(この世)からあちら側 ( 極楽 ) までの道筋がしっかりと見え、将来のなりゆきに明るい希望的な見通しがつけられるからである。 でも、あちら側までは見通すことが出来る私達であるが、こちら側(私自身)を見つめることが出来ているだろうか?他人様のことは、ほんの些細なことでも目につき、鼻につき、腹がたつけれど、同じように私自身が他人様に同じように思われる行動していることを受け止めているだろうか。他人様と比較して、あの人よりは…というのではなく、阿弥陀様と比較をして日々しっかりと反省していきたい。 合掌