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ラベル(令和2年 今月のことば)が付いた投稿を表示しています

12月のことば

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  「心によってあらゆる方向を探し求めても 自分より愛しい者はどこにも見つからなかっ た。 他の人たちにしても同じである。 みなそれぞれに自分が愛しいのだ。 だからこそ、自己を愛する人は他者を害してはならない(サンユッタ・二カーヤ)」    気が付けば今年も暮れようとしています。コロナ・コロナで一年が過ぎ、出てくるのは溜息ばかりという人も多いのではないでしょうか。街ゆく人々も心なしか早足で歩いているように見受けられます。おもての走る車もクラクションの音が多くなってきたように思います。こんな時こそ、自分を大切に思う気持ちと同様に、他者にも思いやりを以って接したいものです。他人に求めるよりも、まずは自分から行動しましょう!  がんばりましょう、わ・た・し!  

11月のことば

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「 美しく、色あでやかに咲いていても、香りのない花があるように、 善く説かれた言葉であっても、それを実践しない人にはなんの果報もない。」(ダンマパダ) 街路樹も色づき、いつの間にか秋本番を迎えました。『今月のことば』は、お釈迦様が説かれたお言葉『ダンマパダ』の中の一句です。 どんなに素晴らしいみ教えとご縁があっても、そのみ教えを信じ・実践しなければ、それはただの知識でしかありません。 秋は、阿弥陀さまが、我々を救うために難行苦行の末に仏さまになっていただいたことを感謝・お祝いし、お念仏をお称えするお十夜法要の季節です。 芳しい実のあるお念仏をともどもにお称えしましょう。

10月のことば

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 「人をほめ 人をいたわる 人間になろう」 「あいつが悪い」 「こいつは間違っている」云々。 そんな言葉ばかりが聞こえてきて、うんざりしますね。 良い点をほめ、相手の思いをいたわる。そんな毎日を送りたいものですね。お互いに。

9月のことば

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「うがい 手洗い お念仏」 9月は秋のお彼岸の月。 コロナ禍が長く状況に慣れてしまいそうですが、うがい・手洗い・そして何よりお念仏をお忘れないよう に!  

8月のことば

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  「まざまざと 在ますがごとし 魂まつり」   眉を寄せてしまうほどのカラスの大きな鳴き声が聞こえます。コロナ禍のせいで餌が少ないのか、朝から晩まで寺の周りを飛び交っています。 ある時、聞き覚えのない鳴き声を耳にし辺りを探してみると、目の前の街路樹でカラスが子育てをはじめていました。耳慣れない鳴き声は、子ガラスの鳴き声だったのです。親ガラスが巣に戻ると大きな声で餌をねだり、親が巣を離れると辺りに知られないように一声も発せず静かにしています。以前に比べ鳴き声も大きくなってきていますので、姿は見えませんがスクスクと成長しているのでしょう。 数日前からは巣から出て、常にその木のてっぺんにいるようになりました。出てきたのはいいけれど、連日続く梅雨の長雨にうたれ、風邪でも引くのじゃないかと心配になります。親が巣立ちを促すように子ガラスに近づいたり遠ざかったりしていますが、当の子ガラスは中々飛び立ってくれません。 ある朝、いつもの木の上に子ガラスの姿は見当たらず、あの甘えん坊もようやく巣立つことが出来たのだと安堵心しました。確認しようと外に出ると、いつも以上にカラスが鳴き、飛び回っています。新入りの仲間入りをお祝いしているのかな?他のカラスが縄張りをアピールしているのかな?などと想像しながら横断歩道を渡り始めると車道の傍らに黒い塊があるのを目にしました。何だろう?とその塊をよく見ると、それは車にはねられて痛ましい姿になってしまった子ガラスでありました。余りの突然のことに言葉もありませんでした。 埋めるための穴を掘りながら、親の帰りを待っていた姿や鳴き声、巣立ちを促す親の様子などが思い返され、やるせない思いの中、お念仏を手向けました。 その日の夕方、街灯に止まった母ガラスが悲しげにしばらく鳴いていました。「早くお母さんの元へ帰っておいで」と子ガラスを呼んでいるようでありました。 お釈迦様は、この世は常あるものが無い無常の世であり、それが真実であることを受け入れなさいと仰いました。 しかし、お釈迦さまが仰ったのは、つらい真実だけでは無く、誰もが救われる御教えもお示しくださいました。それは、阿弥陀さまのお救いを信じ、ナムアミダブツと阿弥陀さまの名をお呼びすれば必ず救われるお念仏のみ教えです。 思い通りにはならない苦しみ多きこの世ではあるけれども、時間を大切に、そしてお念仏を...

7月のことば

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  「助け合うと 豊かになる」 助け合えば、私の心も 相手の心も みんなの心も 豊かになるんですよね。

6月のことば

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  「みなともに平和を願い 仲良く生きたいと思う  ただ いつも 自分本位であることに問題がある」 コロナのせいなのか、日本だけだはなく世界中がギスギスしています。 みんな仲良く健やかに平和に過ごしたいと思っているけれども、いつも「自分が」、「自分にとって」ということが前提にあることを見つめなければいけませんね。 相手の心情を慮る。そうありたいですね。

5月のことば

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  「ほほえみは ほほえみを生む 春の風」 コロナウイルス蔓延で世の中がギスギスしているような気がします。出口が見えないトンネルの中にいるようなこんな時だからこそ、口角を上げて、思いやりを持って過ごしたいですね。

おてらからのおたより  -令和2年1月のことばー

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  「自分の心が変われば 他人の心も変わる すべては自分の心から』 ナムアミダブツ 令和の新春を迎えました。皆様にとりまして素晴らしい一年になりますよう心からお祈り申し上げます。本年も何卒よろしくお願いします。  昨年末、「音がうるさいという苦情に除夜の鐘を中止」、との話題が世間を騒がせました。昨今は、お祭りがうるさい、花火がうるさい、ラジオ体操がうるさい、子供の声がうるさい、等々。 実際にクレームを寄せる人は、ごく少数だそうですが、一部の声を無視できず歳末の風物詩が消えていくのは何とも寂しい限りです。    そもそも除夜の鐘は、一年の最後の晩に、旧年を送り新年を迎えるために撞く鐘であり、私達が持つ百八もの煩悩を除去し、清浄な心で新年を迎えるために、その数だけ打ち鳴らすというものです。鐘を打てば煩悩が滅する訳ではありませんが、怒りの心や欲の心などの煩悩によって犯してしまった数々を省みて、新しき年には仏教徒としてそのような罪を出来るだけ犯さず、より正しい生活を送れるように心掛ける為のものと言えるでしょう。  鐘の音をうるさいと取るか、我が身を振り返るきっかけと取るかは人それぞれですが、その苦情に対してあるお寺がとった解決策が、とても良いアイデアだと思いました。それは、早い時間に鐘を打つという単純なことです。 お互いの主義・主張を押し付け合うのではなく、相手の意見を汲み、互いを尊重しつつ共存していく。今の世の中に最も必要で大切なことではないかと考えさせられました。  昨年、毎週放送を楽しみにしたドラマがありました。実家に住む母親とニートの弟のもとに、家をリフォームすることになった姉家族が3ヶ月間だけ居候するという話です。 同居を始めた当初、それぞれが生活環境の変化に戸惑い、「狭い」、「自由がない」、「自分の部屋が無い」など、不平不満ばかりを言い合い、自らの価値観を押し付け、衝突してばかりでした。 ところが、共に生活するうちに、喧嘩をしながらも少しづつ相手を認め、相手を気遣い、思いやりの大切さに気付いていくというドラマでした。 人の不器用さや〝あたたかさに〟泣かされることもしばしばでありましたが、何の変哲もない普通のホームドラマが〝ウケる〟のは、世の中が、思いやりに飢えている表れだと思います。 仏教徒がすべき大切なものに、〔慈悲〕の実践があります。〔慈悲〕の〔慈〕...