投稿

12月, 2024の投稿を表示しています

1月のことば

イメージ
    「強く願い、深く信じる」 浄土宗開宗851年目の新春を迎えました。  今年は昨年より少しでも健やかに過ごしたいものです。  さて、「一年の計は春にあり 一日の計は晨(あした:あさの意)にあり」と申しますが、年頭に当たり今年の目標を立ててみませんか。     「話を聞いて欲しい」  ある時、 四十代と思しき女性が寺にみえ、話を伺うことになりました。  聞けば、このKさんは、前年にご主人と悲しいお別れをされ、お骨は現在も自宅に安置されているとのこと。いつまでも傍に置いておきたいのだけれどもそうもいかず、どうしたら良いかと相談にみえたのでありました。  Kさんの悲しみはとても深く、ご主人との思い出やご自身の胸の内などを話されるのですが、話している時間よりも泣きじゃくる時間の方が長いほどでした。  気付けば二時間半が過ぎており、外も薄暗くなってきたので、「今日はこの辺にしましょうか」と切り出すと、また話を聞いて欲しいとの事でした。「私で良ければ話を伺いますよ」と答え、その後、二度三度と寺に足を運んでいただくことになりました。  顔合わせる度に、話す時間と泣きじゃくる時間の割合に変化が見え、当初の懸案であったご主人のお骨の安置場所も決めることが出来ました。  Kさんの様子を窺いながら、お会いする度に少しずつ阿弥陀様のお救いについて、お念仏について、そしてご主人と決してもう会えないのではなく、極楽浄土においてまた会えることをお伝えしました。  初めて耳にする話しに戸惑いながらも何度も何度も聞くうちに、戸惑いよりも“願い”が勝り、いつのまにかKさんは声に出してお念仏をお称えされるようになっていました。    翌年、Kさんは実のお父さんを亡くされました。家族で看取った大好きなお父さんの頬を撫でながら、「お父さん、お父さん」と泣きじゃくるKさん。しかし、出棺の時間であることを告げられると一変し、「お父さん、何も心配ないからね。うちの旦那が待っていてくれるから。」  「でもね、今までみたいに我が儘を言って旦那を困らせちゃだめよ」そう言って、家族一同泣き笑いで見送ることが出来ました。    お盆にお参りに見えた Kさんは 、境内に咲く蓮の花を 「綺麗ですね」 と褒めてくれました。続けて「有難いで...

12月のことば

イメージ
  「人の振り見て我が振り直す」 子供のころ、良く親に言われた言葉です。今となっては自分が親になり言われる事も無くなりましたが幾つになっても大切な言葉だと思いました。   先日、出張のために訪れた空港で、旅客が空港職員にクレームを付けている場面に出くわしました。えらい剣幕でクレームを言っていたのは60代と思しき女性、両手を前に合わせ何度も頭を下げながらクレームを聞いていたのは20代の女性。何が原因でどちらが悪いのかも知りませんが、クレームを聞いている女性が私の娘と同年代の為か、「何も出発前にそんなにガミガミ言わなくとも」と思わず眉をひそめました。でも立場を入れ替えて、私がとんでもないミスをされ大事な法務に支障が出たらどうしていたか?いずれにせよ自らの怒りを他人にぶつけている姿は格好の良いものではないことを気付かされました。日頃、すぐにプリプリしてしまう私は、これまで数えきれないほど格好が悪い姿を晒していたと恥かしくなりました。   「人のふり見て我がふり直す」 現代では、この言葉は悪いモデルを見て我が振りを直せとの意味合いが強いですが、元々は良いモデルを見て我が振りを直すことも教えてくれています。 他人を批判することは得意な昨今、他人の良いところこそを真似したいものです。   年末の気忙しい日々。 阿弥陀様をはじめ、お念仏を称えて極楽浄土へ先立たれた人々は、「私の振り」をご覧になっています。 こんな時こそ時間や気持ちに余裕をもって大らかに過ごし、しっかりとお念仏をお称えし、より佳き新年をお迎えしましょう。合掌