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2月のことば

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  「いいことが続かないのも 無常 悪いことばかり続かないのも 無常」   身を切るような風に、ついつい背中が丸くなってします。見上げる空もどんよりした日が多く、気持ちも何だか滅入ってきます。 姿勢も悪くなり、目に映る世界も知らぬ間に狭くなっています。   お釈迦様の教えである「諸行無常」という教えは、この世の物事はすべてがうつり変わり 常あるものなど無い、すべては変化し続けると示されています。 ところが当の私たちは、自らが幸せだと思うことが永遠に続けば良いと切実に願います。 楽しいこと、嬉しいこと、心地良い時間、かけがえのない環境など、誰もが失いたくないと目を背けても、移ろいゆくことこそが真実です。 一方でつらいこと、悲しいこと、目をそむけたくなるような状態も、無常の一コマです。   様々な状況にあっても、そこは到着点ではなく通過点でしかありません。 豊かなおもいの人は足元を見つめ、苦しい思いをされている人は大空を見上げ、共に「この世は無常、すべてのものはうつり変わる」と心にとどめたいと思います。

1月のことば

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  「照る月を おのが心に すみぬれば くらき路には 迷わざりけり」 《意訳》 阿弥陀様のお救い(照る月の光)を素直に我が心にいただけば、この世を暗くする憂いや煩いも払われ 信仰の道を迷うこともありませんよ   トランプ関税に米騒動、熊騒動に八戸沖の地震など … 。昨年は様々な「騒動」に動揺した一年でありました。それぞれの騒動は未だ続きますが、今年はあまり心が動かされずに日々過ごしたいものです。 心が落ち着き不安や心配がないことを「安心(あんしん)」と言いますが、仏教語では「あんじん」と読みます。浄土宗において「安心」は、私たちの心構えのことで、安心の「安」は安置するという意味です。 つまりお念仏を称える私たちにとっての安心とは、「 極楽を求め、阿弥陀様におすがりし 、 お念仏を称える 」ということをしっかりと心に安置する」ということです。 これら安心を揺るぎなくすることで、命尽きる時やその後の不安が解消されるのです。 昨年 4 月、義母を亡くしました。最期の時を過ごした病院の個室には、入院当初から小さな阿弥陀様をお祀りし、お念仏を称えておりました。 しかしながら、時間を共にした一人の人間が最期を迎えようとしていることは受け入れ難く、ベッドサイドのモニターに示される脈拍数や呼吸数、血圧などの変化に動揺していました。本人はより不安に駆られていたのかもしれません。 それでも少しずつ状況を受けとめ、最期は「大丈夫、もう頑張らくていいから。安心して行っていいから」とお念仏のなかで見送ることが出来ました。 法然上人のお言葉に 「弥陀の本願(ほんがん)ふかし、往生(おうじょう)はただ御(おん)こころにあるなり。ゆめゆめ御念仏おこたらず。決定往生(けつじょうおうじょう)のよしを存(ぞん)ぜさせたもうべく候(そうろう。」 「阿弥陀様が、我が名を呼ぶ者を救おうとなさる本願は、真に慈悲深いもので、私たちの往生は、もはや阿弥陀様の御心のうちに委ねられています。決してお念仏を怠ることなく勤め励んで、必ず往生するのだということをお知りになるべくです」とあります。 「安心」。 不安多きこの世の中ですが、阿弥陀様に極楽浄土へ救っていただくようにとの想いを揺るぎないものにし、日々お念仏をお称えしましょう。合掌