1月のことば

 


 

「強く願い、深く信じる」

浄土宗開宗851年目の新春を迎えました。

 今年は昨年より少しでも健やかに過ごしたいものです。

 さて、「一年の計は春にあり 一日の計は晨(あした:あさの意)にあり」と申しますが、年頭に当たり今年の目標を立ててみませんか。 

 

 「話を聞いて欲しい」

 ある時、四十代と思しき女性が寺にみえ、話を伺うことになりました。

 聞けば、このKさんは、前年にご主人と悲しいお別れをされ、お骨は現在も自宅に安置されているとのこと。いつまでも傍に置いておきたいのだけれどもそうもいかず、どうしたら良いかと相談にみえたのでありました。

 Kさんの悲しみはとても深く、ご主人との思い出やご自身の胸の内などを話されるのですが、話している時間よりも泣きじゃくる時間の方が長いほどでした。

 気付けば二時間半が過ぎており、外も薄暗くなってきたので、「今日はこの辺にしましょうか」と切り出すと、また話を聞いて欲しいとの事でした。「私で良ければ話を伺いますよ」と答え、その後、二度三度と寺に足を運んでいただくことになりました。

 顔合わせる度に、話す時間と泣きじゃくる時間の割合に変化が見え、当初の懸案であったご主人のお骨の安置場所も決めることが出来ました。

 Kさんの様子を窺いながら、お会いする度に少しずつ阿弥陀様のお救いについて、お念仏について、そしてご主人と決してもう会えないのではなく、極楽浄土においてまた会えることをお伝えしました。

 初めて耳にする話しに戸惑いながらも何度も何度も聞くうちに、戸惑いよりも“願い”が勝り、いつのまにかKさんは声に出してお念仏をお称えされるようになっていました。

 

 翌年、Kさんは実のお父さんを亡くされました。家族で看取った大好きなお父さんの頬を撫でながら、「お父さん、お父さん」と泣きじゃくるKさん。しかし、出棺の時間であることを告げられると一変し、「お父さん、何も心配ないからね。うちの旦那が待っていてくれるから。」

 「でもね、今までみたいに我が儘を言って旦那を困らせちゃだめよ」そう言って、家族一同泣き笑いで見送ることが出来ました。

 

 お盆にお参りに見えたKさんは、境内に咲く蓮の花を「綺麗ですね」と褒めてくれました。続けて「有難いですね」と話されました。「今、旦那とお父さんは、極楽の同じ蓮の台に二人で並んで座って、私達のことを見守ってくれているんですもんね。」

 「私もいつか、同じ蓮の台に一緒に座ることが出来るんですもんね。有難いですよね。」そう言って笑顔で涙を拭っておられました。

  

 法然上人は、「信をば一念に往生すと取り、行をば一行に励むべきなり(わずか一遍のお念仏でも往生が叶うと頂き、一生涯にわたってお念仏に励みなさい)」とお諭しです。

 辛く悲しいことや受け入れ難いことも多いこの世ではありますが、「願う心」・「信じる心」・「目標」を「生きる希望」や「生きる力」とし、お念仏を申し申しの一年にしましょう。

「それみたか 常が大事だ 大晦日」となりませんように。       南無阿弥陀仏

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