3月のことば

 

「先人の示す 無常の真実 救いの道」

 あれから12年が過ぎた。

12年経ったからなのか、私の記憶がどんどん塗り変えられているからなのか、震災前後になるとあふれ出すテレビや新聞、SNSなどの震災関連の報道によって、まるで治りかけのかさぶたを無理やり剝がされるかのように様々なことが思い起こされる。

 私の性格が生来ネガティブだからなのか、ただの恩知らずなのかは分からないが、思い起こされるのは嬉しかったことや有難かったことよりも、寂しかったことや悲しかったこと、残念な思いに駆られたことの方が多い。

 数々の思い出される“かさぶた”の一つに、法話の機会を頂いて訪れた太平洋沿岸のお寺での出来事がある。

 当時は、訪れる地域やそのお寺が海岸からどれほど離れているのか、どのような立地にあるかなどを防災ハザードマップで必ず調べてから出掛けていた。

 それは、私自身が知らない土地を訪れることへの恐怖心と、その地域の人々が〝いざ〟という時に辛く悲しい思いをして欲しくないという願いからだった。ちょうど東日本大震災を教訓にすべく、南海トラフ地震の危険性が声高に叫ばれ始めた頃だったので、空き時間にお寺の関係者と“確認のために”、この場所は南海トラフ地震が起きた際に津波の危険地域であることを話すと、危険地域であることを知らないばかりか、津波が来ることだけではなく地震が起きることさえも全く想定されていなかったことに大変驚かされた。

 何とも表現し得ない思いの中、どうかご用心くださいとだけ伝えた時の寂しさは、忘れることも出来ずに今も鮮明に覚えている。

  防災において「正しく恐れる」という言葉が有るが、現状を見据え、決して他人事にしないということが大前提であるのは言うまでもない。 

 防災と同じように、私たちの生きること、死ぬこと、死んでからのことはどうであろうか。他人事にしてはいないだろうか。無常の世にあるのは、まぎれもなく他人様ではなく私であり、救いの道を求めることも求めないことも私次第である。

 親が自分の犯した失敗や苦い思いを子供にして欲しくないように、亡き人々は「この世の無常と救いの道」に気付いて欲しいと願っている。もしかすると、このブログで私の拙い文章を読んでいるあなたを、亡き人がナムアミダブツのお念仏の御教えと出会わせてくださっているのかもしれない。すでに出会っている人には、間違いのない道だよ、その正しい道を歩みなさいよと諭してくださっているのかもしれない。

 ナムアミダブツのお念仏は、いつ・何時、来るか分からないこの世の結びに、阿弥陀様が必ず極楽浄土へと救い摂ってくださる唯一の救いの道です。

 ナムアミダブ・ナムアミダブツと日々お念仏をお称えください。

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