8月のことば
「暑さの中に涼を求めるが如く、寂しさの中に救いの光を求める」
良いのか悪いのか分からないが、今の私に導いてくれた人がいる。
元々、高校教師をしながら僧侶をされていたその人は、県内の浄土宗の若い坊さんに仏教や浄土宗の教えの基礎をはじめ、様々な学ぶ機会を作ってくれていた人であった。
決してあれこれと指図するようなタイプではなく、物静かに一歩下がって構え、相手の自主性を尊重する人であった。
知る人ぞ知る布教師で、先生と呼ばれるような著名な布教師さんが一目を置く存在であった。
若くして住職になった私は、その重責に見合った法話をしなければというより、間違った教えを伝えないようにとの思いから法話の道を学び出した。
布教師養成講座と言う講座を受講することを決めた時にその人は、両手をあげて喜んでくれ、私の原稿に目を通してくれた。
先日、毎年恒例のこの恩師の寺の施餓鬼法要の手伝いに出向いた。
法要中、導師を勤める現住職の息子さんの姿と恩師の姿が重なって、式中にもかかわらず涙がこぼれた。何年経っても涙がこぼれる。
ある老師が、8月は広島の原爆、長崎の原爆、終戦記念日、お盆があり、「死」を考えさせられる月だ、との言葉に深く納得する。
猛暑の中であっても僅かな涼を求めるように、お念仏の御教えは、拭いきれない寂しさの中にも自らが救われる光が示される。
早いもので恩師も17回忌を迎えた。
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