3月のことば

         

「かなしみを あたためあって あるいてゆこう」(坂村真民)


梅の花がほころび始めました。なんだか心が「ふわふわ」します。

それはうららかな春の訪れを感じさせる「ふわふわ感」と14年前に引き戻され地に足がついていないような「ふわふわ感」です。

嬉しい想いとそんな心持ちで良いのかと葛藤する気持ちが混在し、胸が苦しくなります。

否が応でも見送ったたくさんの方々を思い起こしますし、今なお哀しみの淵にある遺族の方々の顔が浮かびます。一年でもっとも無常を思い知らされる季節です。

お釈迦様は「この世は無常であり、無常はこの世の真実である。その真実をそのまま受け止めれば、無常にあらがうことから生じる苦しみが解き放たれる」とお示しです。

形あるものはいつか壊れてしまい、生まれた命はいつまでも生き続けることが出来ない事は誰もが分かっているつもりでも、頭と心が一致させられないのが情をもつ私達人間であることを痛感致します。


哀しいのなら哀しいままでいい。

苦しいのなら苦しいままでいい。

心が落ち着かないのなら落ち着かないままでいい。

「そんなあなた達を私は見捨てない」と、仏となられたのが阿弥陀如来と言う仏さまです。阿弥陀様は全ての人を救い取るために「我が名を呼ぶだけでいい」という誰もが出来る救いの道をご用意いただきました。

そして、この阿弥陀様の救いを明らかにしていただいたのがお釈迦様であり、浄土宗を弘められた法然上人であります。

 心苦しさは無くせないが、あるがままでいいお念仏を、心を込めてただただ称えたいとおもう。

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