10月のことば リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ - 9月 30, 2020 「人をほめ 人をいたわる 人間になろう」「あいつが悪い」「こいつは間違っている」云々。そんな言葉ばかりが聞こえてきて、うんざりしますね。良い点をほめ、相手の思いをいたわる。そんな毎日を送りたいものですね。お互いに。 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ
10月のことば - 10月 03, 2023 「芋は 芋のいのちなり 合掌して いただこう」 「暑いですね~」から「凌ぎやすくなりましたね~」へと挨拶が変わりました。 私の着る作務衣も、まだ夏物とは言え、長袖の上着を羽織るようになりました。 『食の秋』を彩る話題も耳にします。さんま、新米、ぶどう、栗、芋などなど。もう味わわれたでしょうか。 近ごろ、テレビや旅行の広告など見ると、「食べ放題」「飲み放題」「お得」などと言う言葉を良く目にします。 一つの食べ物を分け合って食べた世代としては、何ともそそられる魅力的な言葉の数々なのですが、その前に。 私たちが口にする食べ物は、元々は一つ一つの「いのち」であったことを決して忘れてはいけません。 そして、私たちの口に入るまで多くの人々の労があって、口に出来ていることを感謝しなければいけませんね。 「いただきます」、「ごちそうさまでした」とともに、食事を作ってくれた目の前の人にも感謝を忘れずに秋を満喫しましょう。 〔豊作の柘榴(ざくろ)〕 続きを読む
6月のことば - 6月 18, 2023 「おおらかに生きよう まずは 自分から」 コロナが5類へ移行し、世間は以前を取り戻すかのように活気が溢れています。そのような世の中に呼応してか、私の出張が増えました。 出張先の街には、インバウンドと呼ばれる外国人観光客や修学旅行生が溢れ、飛行機や新幹線などの交通機関はもとより、ホテルなどの宿泊場所を探すことに一苦労することも珍しくありません。 先日、関西への飛行機の機内で、とても賑やかお姐さま達の傍に坐りました。 観光に行くと思しきお姐さま方は、離陸後も観光のシュミレーションに余念がなく、そのミーティングの声は周りに座ったサラリーマンや家族連れが驚いて振り向くほどです。 きっと周りにいた人々は私も含めて、もう少し小さな声で話してくれないかと望んでいたと思いますが、旅行が出来る嬉しさを隠し切れないお姐さま方の心情を理解し、誰も注意などしませんでした。 マナーやエチケットは当然のことであるけれども、お姐さま方の楽しい雰囲気に水を差さない周りの乗客のおおらかさは心地の良いもので、 お姐さま方を見守った寛容さがギスギスした今の時代に大切だと思いました。 社会学者の古市憲寿さんは、「嫌だなと思う人と出会ったら、その人をサンプルだと思って、面白おかしく観察し楽しむ」と仰ってました。なるほど、こちらが楽しめば、嫌なことでも嫌な人でもなくなりますね。 「言うは易し」 まずは、自分からおおらかに過ごしましょう。わずかなことでも、まずは第一歩を自ら歩み出しましょう。 ちなみに、原稿作成で寝不足で搭乗した私は、一睡もできませんでした ( 笑 ) 続きを読む
1月のことば - 1月 06, 2024 「新年に 命の尊さを かみしめる」 ナムアミダブツ 皆様がお念仏をお称えされ、健やかな一年になりますよう心からお祈り申し上げます。本年も何卒よろしくお願いします。 いよいよ本年は、法然上人が承安5年(じょうあん・1175)に浄土宗を開かれてから850年を迎えます。 なぜ法然上人が、それまでの仏教の教えではなく、新しいお念仏の御教えを明らかにされたのか。 それは“私とは一体どういう者なのか”と言うことを突き詰められたが故にお念仏の御教えに辿り着かれました。 法然上人は、長承2年(ちょうしょう・1133)4月7日、美作国(現在の岡山県)にて、武士の子として生を享けられ勢至丸と名付けられます。勢至丸様9歳の時に、夜討ちにあった父の枕辺で「敵を恨むことなく早く出家を果たし、我が菩提を弔い、自らも悟りを求めよ」との遺言に従い仏教の修学に励まれます。 15 歳にて比叡山に登られた勢至丸様は、学問修行に打ち込まれ、遂に出家を果たされ、「法然房源空(ほうねんぼうげんくう)」と言う名を授かります。その後も学問を極め尽くされ「深広の法然房(ふかひろのほうねんぼう)」と称される程でしたが、そこに法然上人が求めるものはありませんでした。 そもそも仏教を開かれたお釈迦様は、「この世は苦であり」、その原因である煩悩を滅すれば、苦から逃れることが出来るとお諭しです。 しかし、法然上人が学べば学ぶほど、修行に打ち込めば打ち込むほど、自身の煩悩を滅することが出来ないことに苦悩されるのです。 心の中では、欲する心や瞋りの心に常に揺れ動かされ、この世が無常であることですら本当に受け止める事など出来ない。こんな私でさえも救われる教えは無いのかと探し求められた末に、善導大師のお書物『観経疏(かんぎょうしょ)』の一文に導かれるのです。 そこには、 「一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥に時節の久近を問わず。念々に捨てざる、これを正定の業と名付く。かの仏の願に順ずるが故に」 (ただひたすら、南無阿弥陀仏と称え、いつどんな時でも、時間の長短に関わらず、絶やすことなく称え続ける。これが極楽浄土に往生できる正しき行である。それは阿弥陀様自らが、我が名を呼ぶ者を必ず 続きを読む