おてらからのおたより  -令和2年1月のことばー

 「自分の心が変われば 他人の心も変わる すべては自分の心から』

ナムアミダブツ 令和の新春を迎えました。皆様にとりまして素晴らしい一年になりますよう心からお祈り申し上げます。本年も何卒よろしくお願いします。

 昨年末、「音がうるさいという苦情に除夜の鐘を中止」、との話題が世間を騒がせました。昨今は、お祭りがうるさい、花火がうるさい、ラジオ体操がうるさい、子供の声がうるさい、等々。
実際にクレームを寄せる人は、ごく少数だそうですが、一部の声を無視できず歳末の風物詩が消えていくのは何とも寂しい限りです。
 
 そもそも除夜の鐘は、一年の最後の晩に、旧年を送り新年を迎えるために撞く鐘であり、私達が持つ百八もの煩悩を除去し、清浄な心で新年を迎えるために、その数だけ打ち鳴らすというものです。鐘を打てば煩悩が滅する訳ではありませんが、怒りの心や欲の心などの煩悩によって犯してしまった数々を省みて、新しき年には仏教徒としてそのような罪を出来るだけ犯さず、より正しい生活を送れるように心掛ける為のものと言えるでしょう。

 鐘の音をうるさいと取るか、我が身を振り返るきっかけと取るかは人それぞれですが、その苦情に対してあるお寺がとった解決策が、とても良いアイデアだと思いました。それは、早い時間に鐘を打つという単純なことです。
お互いの主義・主張を押し付け合うのではなく、相手の意見を汲み、互いを尊重しつつ共存していく。今の世の中に最も必要で大切なことではないかと考えさせられました。

 昨年、毎週放送を楽しみにしたドラマがありました。実家に住む母親とニートの弟のもとに、家をリフォームすることになった姉家族が3ヶ月間だけ居候するという話です。
同居を始めた当初、それぞれが生活環境の変化に戸惑い、「狭い」、「自由がない」、「自分の部屋が無い」など、不平不満ばかりを言い合い、自らの価値観を押し付け、衝突してばかりでした。
ところが、共に生活するうちに、喧嘩をしながらも少しづつ相手を認め、相手を気遣い、思いやりの大切さに気付いていくというドラマでした。
人の不器用さや〝あたたかさに〟泣かされることもしばしばでありましたが、何の変哲もない普通のホームドラマが〝ウケる〟のは、世の中が、思いやりに飢えている表れだと思います。
仏教徒がすべき大切なものに、〔慈悲〕の実践があります。〔慈悲〕の〔慈〕は、いつくしみ。思いやりの心、言葉、行ない。楽を与える情け深さのこと。〔悲〕は、かなしむ。あわれむ。同情。いとおしむ。苦しみを除くことを言います。つまり〔慈悲〕の実践とは、他者を慈しみ、他者の苦に同情し、思いやりを持ってこの苦を抜いてあげる事を実践することです。
 
 お寺は慈悲の実践する最たる場所。共に同じ信仰を持つ人々に対して、そして亡き人に対して、思いやりを持って接したいものです。
心あたたかな一年になりますようお祈りいたします。          合掌

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