6月のことば リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 5月 31, 2020 「みなともに平和を願い 仲良く生きたいと思う ただ いつも 自分本位であることに問題がある」コロナのせいなのか、日本だけだはなく世界中がギスギスしています。みんな仲良く健やかに平和に過ごしたいと思っているけれども、いつも「自分が」、「自分にとって」ということが前提にあることを見つめなければいけませんね。相手の心情を慮る。そうありたいですね。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
3月のことば - 3月 02, 2025 「かなしみを あたためあって あるいてゆこう」(坂村真民) 梅の花がほころび始めました。 なんだか心が「ふわふわ」します。 それはうららかな春の訪れを感じさせる「ふわふわ感」と 14 年前に引き戻され地に足がついていないような「ふわふわ感」です。 嬉しい想いとそんな心持ちで良いのかと葛藤する気持ちが混在し、胸が苦しくなります。 否が応でも見送ったたくさんの方々を思い起こしますし、今なお哀しみの淵にある遺族の方々の顔が浮かびます。一年でもっとも無常を思い知らされる季節です。 お釈迦様は「この世は無常であり、無常はこの世の真実である。その真実をそのまま受け止めれば、無常にあらがうことから生じる苦しみが解き放たれる」とお示しです。 形あるものはいつか壊れてしまい、生まれた命はいつまでも生き続けることが出来ない事は誰もが分かっているつもりでも、頭と心が一致させられないのが情をもつ私達人間であることを痛感致します。 哀しいのなら哀しいままでいい。 苦しいのなら苦しいままでいい。 心が落ち着かないのなら落ち着かないままでいい。 「そんなあなた達を私は見捨てない」と、仏となられたのが阿弥陀如来と言う仏さまです。阿弥陀様は全ての人を救い取るために「我が名を呼ぶだけでいい」という誰もが出来る救いの道をご用意いただきました。 そして、この阿弥陀様の救いを明らかにしていただいたのがお釈迦様であり、浄土宗を弘められた法然上人であります。 心苦しさは無くせないが、あるがままでいいお念仏を、心を込めてただただ称えたいとおもう。 続きを読む
1月のことば - 12月 31, 2024 「強く願い、深く信じる」 浄土宗開宗851年目の新春を迎えました。 今年は昨年より少しでも健やかに過ごしたいものです。 さて、「一年の計は春にあり 一日の計は晨(あした:あさの意)にあり」と申しますが、年頭に当たり今年の目標を立ててみませんか。 「話を聞いて欲しい」 ある時、 四十代と思しき女性が寺にみえ、話を伺うことになりました。 聞けば、このKさんは、前年にご主人と悲しいお別れをされ、お骨は現在も自宅に安置されているとのこと。いつまでも傍に置いておきたいのだけれどもそうもいかず、どうしたら良いかと相談にみえたのでありました。 Kさんの悲しみはとても深く、ご主人との思い出やご自身の胸の内などを話されるのですが、話している時間よりも泣きじゃくる時間の方が長いほどでした。 気付けば二時間半が過ぎており、外も薄暗くなってきたので、「今日はこの辺にしましょうか」と切り出すと、また話を聞いて欲しいとの事でした。「私で良ければ話を伺いますよ」と答え、その後、二度三度と寺に足を運んでいただくことになりました。 顔合わせる度に、話す時間と泣きじゃくる時間の割合に変化が見え、当初の懸案であったご主人のお骨の安置場所も決めることが出来ました。 Kさんの様子を窺いながら、お会いする度に少しずつ阿弥陀様のお救いについて、お念仏について、そしてご主人と決してもう会えないのではなく、極楽浄土においてまた会えることをお伝えしました。 初めて耳にする話しに戸惑いながらも何度も何度も聞くうちに、戸惑いよりも“願い”が勝り、いつのまにかKさんは声に出してお念仏をお称えされるようになっていました。 翌年、Kさんは実のお父さんを亡くされました。家族で看取った大好きなお父さんの頬を撫でながら、「お父さん、お父さん」と泣きじゃくるKさん。しかし、出棺の時間であることを告げられると一変し、「お父さん、何も心配ないからね。うちの旦那が待っていてくれるから。」 「でもね、今までみたいに我が儘を言って旦那を困らせちゃだめよ」そう言って、家族一同泣き笑いで見送ることが出来ました。 お盆にお参りに見えた Kさんは 、境内に咲く蓮の花を 「綺麗ですね」 と褒めてくれました。続けて「有難いで... 続きを読む
2月のことば - 2月 06, 2025 「もらえば幸せ あげれば もっと幸せ」 先月末、レンタカーのハイエースを運転し埼玉県の北部に位置する本庄市に行ってきました。 この地にはベトナム人浄土宗僧侶であるタムチー上人が住職を勤める『大恩寺』というお寺があり、慈恩寺で使わなくなった座布団(60枚)と長椅子( 8 脚)を寄贈するためです。 そもそも寺でのおつとめと言ったら、座布団に正座が当たり前でしたので、どこの寺にも沢山の座布団がありました。 東日本大震災の際には、近隣の避難所へ貸出し、枕や布団代わりに使ってもらいました。しかし昨今では、現代のライフスタイルを合わせ椅子に腰かけ、冷暖房を効かせた割と快適な環境でおつとめをしてもらうようになりました。 使わなくなった座布団を処分するのも忍びなく、もらってくれるところは無いかと模索していたところ、大恩寺さんが手を挙げてくれたのでありました。 大恩寺さんは、若い技能実習生を中心とする敬虔な在日ベトナム人仏教徒が訪れる寺で、多くの在日ベトナム人の心の拠り所となっている寺です。 彼らには椅子よりも座布団の方が都合が良いのだそうです。 実はタムチー上人をはじめとして大恩寺に縁がある多くのベトナム人は、これまで毎年 3 月 11 日に私の実家である石巻・西光寺で行われる東日本大震災法要に参列する遺族や多くの僧侶やスタッフなどの為に、ベトナム料理の「フォー」や「揚げ春巻き」を何度も現地で布施してくれていました。 恩を受けてばかりで何か出来ないかと考えていたので、今回の寄贈は僅かながらの恩返しをすることが出来たうえ、座布団を受け取ってくれたタムチー上人や大恩寺の方々の笑顔にこちらの方がとても嬉しくなりました。 今月のことばは「もらえば幸せ あげれば もっと幸せ」 私も賛同し活動しているひとり親支援団体『おてらおやつクラブ』のポスターにある言葉です。 もらえば嬉しいけれど、あげた相手の悦ぶ顔が見れるのは、それ以上に幸せな気分になれます。寒い2月ですが、多くの笑顔に温かな気分になれる行動をしてみませんか。 おてらおやつクラブのホームページ「 https://otera-oyatsu.club/ 」 続きを読む