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9月のことば

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  「ただ頼め 頼む心があるならば                   南無阿弥陀仏を 声に 出 ( いだ ) せよ」   秋とは言えない暑さが続きますが、虫の音すだく頃となりました。 10 年ほど前、窓越しに聞こえてくる虫の鳴き声の大きさに驚き表に出ました。鳴き声をたずねると、どうやらそれは足元からではなく樹上から聞こえてきます。 木々で鳴く虫は蝉ぐらいしか思い当たりませんので不思議におもい、翌日調べてみるとその鳴き声の正体は日本固有の虫ではなく中国原産の『アリガタツユムシ』という虫であることが分かりました。 以来、それまで気にも留めていなかった虫の鳴き声に耳を向けるようになり、アリガタツユムシが日本各地に生息していることを知りました。 いつのまにか秋に鳴く代表的な虫になったアリガタツユムシですが、アリガタツユムシがあまり鳴かない虫であったならば、きっとこの外来の虫に気付くことも無かったことでしょう。 今月は秋のお彼岸を迎えます。 お彼岸は、お盆と同様にお墓参りのイメージを持たれているかもしれませんが、本来は普段以上にお念仏に励む期間です。 西方極楽浄土が 陽の沈む西の彼方にあることを意識しやすいからです。  苦しみや憂いが一切ない西方極楽浄土をおつくり頂いた阿弥陀さまは、全ての人を救い摂ろうと誓われています。しかし、救い摂るために「我が名を呼んでくれ」と仰っています。 阿弥陀さまは、この私を極楽へとお救いくださいと念じ、「南無阿弥陀仏」と呼ぶ声をたよりに救いに来てくださいます。 西方極楽浄土の阿弥陀さまへ、 先立たれた大切な方々へ届くように、そしてこの私が救われるように、秋の夜長に虫の音に負けないようお念仏をお称えください。                              合掌

8月のことば

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  「胸のうち 聞いてもらいに 墓まいり」 8 月は猛暑であったり豪雨であったり、広島や長崎の原爆投下の日や終戦記念日があったりと、身も心も追い詰められるような日々が続く。息をするのがくるしくなるようだ。 こんな季節だからこそ、亡き人と向き合い、亡き人と語らう時間が必要なのかもしれない。 あの人との楽しかった思い出や忘れていた別れの悲しみも蘇る。 亡き人と時間を共有しよう。 亡き人と向き合うことは、今の自分と向き合うことかもしれない。    合掌

7月のことば

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  「素直な心は人を強く正しく聡明にしてくれるのである」(松下幸之助)   蓮が美しい花を咲かせ始めました。鑑賞される方々の悦ばれる顔に、土の入れ替え時の腰痛も報われたような気がします。   先日、近隣の小学生の『弟子入り留学』を受けいれました。『弟子入り留学』は 4 年生の就業体験です。 おつとめ、写経、境内の清掃、お地蔵様などへの花あげなどをしてもらいますが、一番のメインは外の歩道の清掃で、特に時間を割いています。 私が子供の頃は、ラジオ体操をする場所や公園などを掃除させられましたが、子供会活動の縮小や生活様式や価値観の変化に伴い、教室や自宅などの「私の場所」以外の公共の場所を掃除する機会が無くなってしまいました。 その為に公共の場所は「私ではない誰かが掃除する場所」になり、ごみやタバコの吸い殻などが平気で捨てられるようになりました。今回の子供達も多くのタバコの吸い殻やマスクなどを拾いました。 閉会式では弟子たち(子供達)に、「ごみを捨てる大人ではなく、ゴミを拾う大人になるように」と伝えます。 わずかな経験であっても、子供たちは素直に良い・悪いをきちんと理解し、後日行われる弟子入り発表会では「私はごみを捨てない」という宣言を数多く聞かされます。   今月のことばは、戦後の日本経済を支えてくれた財界人の一人、松下幸之助さんの言葉です。 戦後80年を迎え、昨今、戦争に関して様々な意見を耳にします。 戦争をしてはいけない、人を傷つけてはいけない、自分も周りの人々も大切にする、という根本的なことを大人が子供にしっかりと伝える大切さを感じます。 小さなことの積み重ねが、やがて花を咲かせる気がしてなりません。

6月のことば

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  「念仏は いまと未来の 道しるべ」 先月、稚内のお寺へ行ってきました。 さすが北端の町、仙台では一月ほど前に散ってしまった桜が咲き、本堂ではストーブが焚かれておりました。 無事5日間の行事を勤め、帰路の為に空港に向かうと搭乗予定の便が欠航する可能性があるとのしらせ。 稚内は日常的に強風が吹くため欠航は珍しいことではなく、現に1日 2 便のうちの午前の便は欠航でした。 折り返し運航なので、稚内空港に着陸出来なければ出発地に戻り自動的に欠航になってしまいます。 待合室にいた搭乗予定の人々は、藁をもすがるような思いで着陸する飛行機を見守っていました。 いよいよ着陸態勢に入った飛行機は、肉眼でも確認できるほど強風に煽られグラグラと揺れながらも無事着陸することでき歓声と拍手が上がりました。 幸いにして私は、予定通り帰路に就くことが出来ました。   行く場所や 着く場所が定まらないことは、不安でしかありません。いや恐怖とも言えるでしょう。   この世の命を終えた時に私はどこへ行く? どこに行ける? どのようなところに行ける?   「この私」は、このような所に行くと明確に答えられますか? これらの問いを明確にしてくださったのが浄土宗を開かれた法然上人です。 法然上人はお釈迦さまの御教えの中から、阿弥陀さまのお救いを見出されました。貪る心や怒りの心、この世が常に移り変わることさえも受け入れられない者であっても、「 ナム・アミダブツ 、ナム・アミダブツ」と阿弥陀さまの名を呼べば、阿弥陀さまが西方極楽浄土へとお救いくださるというものです。 阿弥陀さまが、阿弥陀さまを呼ぶ声を探し出され、極楽浄土より呼ぶ者の目の前まで迎えに来てくださり、極楽浄土へとお連れいただけるのです。 お念仏を称える人は独り旅ではないのです。 日頃から心を込めてしっかりと阿弥陀さまの名を呼び続けましょう。             ナム・アミダブツ

4月のことば

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  「たしなみは 足元そろえる 心から」      新年度を迎え、新入生の楽しそうな姿を多く目にします。 麗らかな気候と咲き誇る様々な花々と相まって、見ているこちらまで気分が高揚するようです。彼ら彼女らの将来が、春の陽気のようであって欲しいと願わずにはいられません。   先日、車を運転中に信号待ちをしていると、とても楽しそうに会話を楽しむ新入生と思しき2人連れの女の子が、目の前の横断歩道を渡ろうとしていました。ところが横断歩道の信号はすでに赤になっています。どうやら、あまりにも会話が弾んでいて赤信号に気付いていない様子です。 道路は交通量の多い通り、まさかと思いながら注視していると、案の定こちらが待っている信号が青になっても気付かずに歩道を歩き続けていました。 歩行者と他の車線の車に注意を促すためにクラクションを鳴らすと、その音に驚いた女の子たちは、ようやく状況を把握し、あわてて安全地帯へ逃げ込み、振り向きざまに深々と頭を下げました。 思わず「危ないなぁ」と口走しりましたが、誠意をもってお詫びする二人の姿に、こちらが清々しくなる程の好感を覚えました。 と、ともに偉そうにクラクションを鳴らした私はどうなんだろうと考えさせられました。 普段の運転はどうなんだろう? 注意をしてもらった時に素直に聴く耳をもっているだろうか?などなど。 謝りっぷりの良い二人の姿に、何かとても大事なことを思い出させてもらえたように思いました。 まずは自らの足元を見つめ直す心から、新年度をスタートしたいと思います。

3月のことば

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           「かなしみを あたためあって あるいてゆこう」(坂村真民) 梅の花がほころび始めました。 なんだか心が「ふわふわ」します。 それはうららかな春の訪れを感じさせる「ふわふわ感」と 14 年前に引き戻され地に足がついていないような「ふわふわ感」です。 嬉しい想いとそんな心持ちで良いのかと葛藤する気持ちが混在し、胸が苦しくなります。 否が応でも見送ったたくさんの方々を思い起こしますし、今なお哀しみの淵にある遺族の方々の顔が浮かびます。一年でもっとも無常を思い知らされる季節です。 お釈迦様は「この世は無常であり、無常はこの世の真実である。その真実をそのまま受け止めれば、無常にあらがうことから生じる苦しみが解き放たれる」とお示しです。 形あるものはいつか壊れてしまい、生まれた命はいつまでも生き続けることが出来ない事は誰もが分かっているつもりでも、頭と心が一致させられないのが情をもつ私達人間であることを痛感致します。 哀しいのなら哀しいままでいい。 苦しいのなら苦しいままでいい。 心が落ち着かないのなら落ち着かないままでいい。 「そんなあなた達を私は見捨てない」と、仏となられたのが阿弥陀如来と言う仏さまです。阿弥陀様は全ての人を救い取るために「我が名を呼ぶだけでいい」という誰もが出来る救いの道をご用意いただきました。 そして、この阿弥陀様の救いを明らかにしていただいたのがお釈迦様であり、浄土宗を弘められた法然上人であります。   心苦しさは無くせないが、あるがままでいいお念仏を、心を込めてただただ称えたいとおもう。

2月のことば

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  「もらえば幸せ あげれば もっと幸せ」   先月末、レンタカーのハイエースを運転し埼玉県の北部に位置する本庄市に行ってきました。 この地にはベトナム人浄土宗僧侶であるタムチー上人が住職を勤める『大恩寺』というお寺があり、慈恩寺で使わなくなった座布団(60枚)と長椅子( 8 脚)を寄贈するためです。   そもそも寺でのおつとめと言ったら、座布団に正座が当たり前でしたので、どこの寺にも沢山の座布団がありました。 東日本大震災の際には、近隣の避難所へ貸出し、枕や布団代わりに使ってもらいました。しかし昨今では、現代のライフスタイルを合わせ椅子に腰かけ、冷暖房を効かせた割と快適な環境でおつとめをしてもらうようになりました。 使わなくなった座布団を処分するのも忍びなく、もらってくれるところは無いかと模索していたところ、大恩寺さんが手を挙げてくれたのでありました。 大恩寺さんは、若い技能実習生を中心とする敬虔な在日ベトナム人仏教徒が訪れる寺で、多くの在日ベトナム人の心の拠り所となっている寺です。 彼らには椅子よりも座布団の方が都合が良いのだそうです。  実はタムチー上人をはじめとして大恩寺に縁がある多くのベトナム人は、これまで毎年 3 月 11 日に私の実家である石巻・西光寺で行われる東日本大震災法要に参列する遺族や多くの僧侶やスタッフなどの為に、ベトナム料理の「フォー」や「揚げ春巻き」を何度も現地で布施してくれていました。 恩を受けてばかりで何か出来ないかと考えていたので、今回の寄贈は僅かながらの恩返しをすることが出来たうえ、座布団を受け取ってくれたタムチー上人や大恩寺の方々の笑顔にこちらの方がとても嬉しくなりました。  今月のことばは「もらえば幸せ あげれば もっと幸せ」 私も賛同し活動しているひとり親支援団体『おてらおやつクラブ』のポスターにある言葉です。  もらえば嬉しいけれど、あげた相手の悦ぶ顔が見れるのは、それ以上に幸せな気分になれます。寒い2月ですが、多くの笑顔に温かな気分になれる行動をしてみませんか。   おてらおやつクラブのホームページ「 https://otera-oyatsu.club/ 」