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3月のことば

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           「かなしみを あたためあって あるいてゆこう」(坂村真民) 梅の花がほころび始めました。 なんだか心が「ふわふわ」します。 それはうららかな春の訪れを感じさせる「ふわふわ感」と 14 年前に引き戻され地に足がついていないような「ふわふわ感」です。 嬉しい想いとそんな心持ちで良いのかと葛藤する気持ちが混在し、胸が苦しくなります。 否が応でも見送ったたくさんの方々を思い起こしますし、今なお哀しみの淵にある遺族の方々の顔が浮かびます。一年でもっとも無常を思い知らされる季節です。 お釈迦様は「この世は無常であり、無常はこの世の真実である。その真実をそのまま受け止めれば、無常にあらがうことから生じる苦しみが解き放たれる」とお示しです。 形あるものはいつか壊れてしまい、生まれた命はいつまでも生き続けることが出来ない事は誰もが分かっているつもりでも、頭と心が一致させられないのが情をもつ私達人間であることを痛感致します。 哀しいのなら哀しいままでいい。 苦しいのなら苦しいままでいい。 心が落ち着かないのなら落ち着かないままでいい。 「そんなあなた達を私は見捨てない」と、仏となられたのが阿弥陀如来と言う仏さまです。阿弥陀様は全ての人を救い取るために「我が名を呼ぶだけでいい」という誰もが出来る救いの道をご用意いただきました。 そして、この阿弥陀様の救いを明らかにしていただいたのがお釈迦様であり、浄土宗を弘められた法然上人であります。   心苦しさは無くせないが、あるがままでいいお念仏を、心を込めてただただ称えたいとおもう。

2月のことば

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  「もらえば幸せ あげれば もっと幸せ」   先月末、レンタカーのハイエースを運転し埼玉県の北部に位置する本庄市に行ってきました。 この地にはベトナム人浄土宗僧侶であるタムチー上人が住職を勤める『大恩寺』というお寺があり、慈恩寺で使わなくなった座布団(60枚)と長椅子( 8 脚)を寄贈するためです。   そもそも寺でのおつとめと言ったら、座布団に正座が当たり前でしたので、どこの寺にも沢山の座布団がありました。 東日本大震災の際には、近隣の避難所へ貸出し、枕や布団代わりに使ってもらいました。しかし昨今では、現代のライフスタイルを合わせ椅子に腰かけ、冷暖房を効かせた割と快適な環境でおつとめをしてもらうようになりました。 使わなくなった座布団を処分するのも忍びなく、もらってくれるところは無いかと模索していたところ、大恩寺さんが手を挙げてくれたのでありました。 大恩寺さんは、若い技能実習生を中心とする敬虔な在日ベトナム人仏教徒が訪れる寺で、多くの在日ベトナム人の心の拠り所となっている寺です。 彼らには椅子よりも座布団の方が都合が良いのだそうです。  実はタムチー上人をはじめとして大恩寺に縁がある多くのベトナム人は、これまで毎年 3 月 11 日に私の実家である石巻・西光寺で行われる東日本大震災法要に参列する遺族や多くの僧侶やスタッフなどの為に、ベトナム料理の「フォー」や「揚げ春巻き」を何度も現地で布施してくれていました。 恩を受けてばかりで何か出来ないかと考えていたので、今回の寄贈は僅かながらの恩返しをすることが出来たうえ、座布団を受け取ってくれたタムチー上人や大恩寺の方々の笑顔にこちらの方がとても嬉しくなりました。  今月のことばは「もらえば幸せ あげれば もっと幸せ」 私も賛同し活動しているひとり親支援団体『おてらおやつクラブ』のポスターにある言葉です。  もらえば嬉しいけれど、あげた相手の悦ぶ顔が見れるのは、それ以上に幸せな気分になれます。寒い2月ですが、多くの笑顔に温かな気分になれる行動をしてみませんか。   おてらおやつクラブのホームページ「 https://otera-oyatsu.club/ 」

1月のことば

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    「強く願い、深く信じる」 浄土宗開宗851年目の新春を迎えました。  今年は昨年より少しでも健やかに過ごしたいものです。  さて、「一年の計は春にあり 一日の計は晨(あした:あさの意)にあり」と申しますが、年頭に当たり今年の目標を立ててみませんか。     「話を聞いて欲しい」  ある時、 四十代と思しき女性が寺にみえ、話を伺うことになりました。  聞けば、このKさんは、前年にご主人と悲しいお別れをされ、お骨は現在も自宅に安置されているとのこと。いつまでも傍に置いておきたいのだけれどもそうもいかず、どうしたら良いかと相談にみえたのでありました。  Kさんの悲しみはとても深く、ご主人との思い出やご自身の胸の内などを話されるのですが、話している時間よりも泣きじゃくる時間の方が長いほどでした。  気付けば二時間半が過ぎており、外も薄暗くなってきたので、「今日はこの辺にしましょうか」と切り出すと、また話を聞いて欲しいとの事でした。「私で良ければ話を伺いますよ」と答え、その後、二度三度と寺に足を運んでいただくことになりました。  顔合わせる度に、話す時間と泣きじゃくる時間の割合に変化が見え、当初の懸案であったご主人のお骨の安置場所も決めることが出来ました。  Kさんの様子を窺いながら、お会いする度に少しずつ阿弥陀様のお救いについて、お念仏について、そしてご主人と決してもう会えないのではなく、極楽浄土においてまた会えることをお伝えしました。  初めて耳にする話しに戸惑いながらも何度も何度も聞くうちに、戸惑いよりも“願い”が勝り、いつのまにかKさんは声に出してお念仏をお称えされるようになっていました。    翌年、Kさんは実のお父さんを亡くされました。家族で看取った大好きなお父さんの頬を撫でながら、「お父さん、お父さん」と泣きじゃくるKさん。しかし、出棺の時間であることを告げられると一変し、「お父さん、何も心配ないからね。うちの旦那が待っていてくれるから。」  「でもね、今までみたいに我が儘を言って旦那を困らせちゃだめよ」そう言って、家族一同泣き笑いで見送ることが出来ました。    お盆にお参りに見えた Kさんは 、境内に咲く蓮の花を 「綺麗ですね」 と褒めてくれました。続けて「有難いで...

12月のことば

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  「人の振り見て我が振り直す」 子供のころ、良く親に言われた言葉です。今となっては自分が親になり言われる事も無くなりましたが幾つになっても大切な言葉だと思いました。   先日、出張のために訪れた空港で、旅客が空港職員にクレームを付けている場面に出くわしました。えらい剣幕でクレームを言っていたのは60代と思しき女性、両手を前に合わせ何度も頭を下げながらクレームを聞いていたのは20代の女性。何が原因でどちらが悪いのかも知りませんが、クレームを聞いている女性が私の娘と同年代の為か、「何も出発前にそんなにガミガミ言わなくとも」と思わず眉をひそめました。でも立場を入れ替えて、私がとんでもないミスをされ大事な法務に支障が出たらどうしていたか?いずれにせよ自らの怒りを他人にぶつけている姿は格好の良いものではないことを気付かされました。日頃、すぐにプリプリしてしまう私は、これまで数えきれないほど格好が悪い姿を晒していたと恥かしくなりました。   「人のふり見て我がふり直す」 現代では、この言葉は悪いモデルを見て我が振りを直せとの意味合いが強いですが、元々は良いモデルを見て我が振りを直すことも教えてくれています。 他人を批判することは得意な昨今、他人の良いところこそを真似したいものです。   年末の気忙しい日々。 阿弥陀様をはじめ、お念仏を称えて極楽浄土へ先立たれた人々は、「私の振り」をご覧になっています。 こんな時こそ時間や気持ちに余裕をもって大らかに過ごし、しっかりとお念仏をお称えし、より佳き新年をお迎えしましょう。合掌

11月のことば

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  「わかちあうと 幸せはふくらむ」  今年もあと 2 か月。 11 月は年末とまで云わないまでも、なにか気忙しい気がしますね。 時間に追われ、知らず知らずのうちに気持ちの余裕も無くなっていることも多くあります。夜空の星を眺めたり、手を洗ってみたり、すぐに実行出来る心の中の空気の入れ替えをしてみませんか。  先日、よく利用するエレベーターでのこと。 用を終え、先にエレベーター内に乗り込んだ私。目の前のお婆ちゃんがゆっくりゆっくりと靴を履いています。普段なら、急かすのも迷惑だろうとドアを閉めて先に降りてしまうのですが、この日は待っていようと、「開」のボタンを押したままでお婆ちゃんを待ちました。時間にして 30 秒ほどだったでしょうか。ようやく靴を履いたお婆ちゃんが振り向くと、ドアを開けて待っていた私に驚かれました。「あらっ」と急いでエレベーター内に乗り込んできたお婆ちゃんは、エレベーターが来たことに気付いていたけれど、待たせるのが悪いから、わざとゆっくりと靴を履き、おまけに自分が気づいていないふりまでしていたとのこと。  そんな気を遣う必要もないのにと話す私に「やさしいのね、あなたのやさしさがとても嬉しいわ」との言葉を掛けてくれました。私は「こちらこそ、有り難うございます」と伝え、その場を後にしました。  高々 30 秒待っただけで、このお婆ちゃんから心が豊かになる感謝の言葉と素敵な笑顔の施しをいただきました。この施しを仏教では「和顔愛語(わげんあいご)」と言います。  人の顔は、その人の内面がつくると言います。  わずかなこと、いや微かなことであったとしても、和顔愛語を心掛ける 11 月にしませんか。

10月のことば

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  「たまには立ち止まってみてごらん 違った景色が見えてくる」   酷暑に涼を与えてくれた青々とした葉もいつしか茶色になり、落ち葉拾いに追われる季節になりました。 毎日毎日、枯葉拾いに追われるのは決して楽ではありませんが、考えようによっては頭の中を空っぽにしたり、書かなきゃいけない原稿を練ったり、様々なことに向き合うことが出来る貴重な時間でもあります。 秋は、「秋の日は釣瓶落とし」と例えられるように日が暮れるのが早くなり夜の時間が長くなります。   読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋 … 。   「日が短くなったね~」なんてぼやいてないで、〝自分に向きあう時間〟を提供してくれているそれぞれの秋を満喫しましょう。 もちろん普段以上にお念仏を称えることも忘れずに。  

9月のことば

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  「出遇いと別れの人生で、遇っている「今」を大切にしたい」 いつのまにか 9 月になりました。 9 月を英語で言うと「 September 」。 「 September 」と言えば『アース・ウィンド・アンド・ファイアー』の名曲が思い浮かびます。 1978 年にリリースされたこの曲は世界的な大ヒットをし、40年以上を経た今でもよく耳にする不朽の名作です。 『 September 』と言う曲名から 9 月の歌かと思いきや実はそうではなく、「 9 月に出会った私達は、月日が経った 12 月の今も愛している~」と歌われている 12 月のラブソングです。 私の世代から更に上のお兄さんお姉さんたち世代の人は、この曲を聞くとついつい踊りたくなる人も多いのではないでしょうか。と同時に、楽しかった思いや苦い思い、辛かったり悲しかったことを思い出す人もいるかもしれません。「未来は今の積み重ね」と言いますが、それらの思い出を経て、「今の私」があるんですね。 9月19日(木)から25日(水)は秋のお彼岸です。 先立たれた方々が眠る墓前にお参りし、亡き人との思い出を思い返してみませんか。 その思い出は、決して楽しいことばかりではなかったかもしれません。しかし、その方との出逢いと別れがあって、「今」があります。 今を大切にするためにも、足を運び一輪の花だけでも手向けませんか。