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おてらからのおたより  ―平成27年2月のことばー

  「信仰の 泉に湧く愛 湧く希望」   長男坊の立志式に行ってきました。立志式とは、男子が成人したことを示す『元服』の儀式にならい、中学2年生の生徒たちがこれまでの自らを顧みながら将来の夢や希望を発表する会です。150名を超す生徒の発表を聞きましたが、あまり夢がないなぁというのが正直な感想。野球が好きだからプロ野球選手になりたい!お花が好きだから花屋さんになりたい!そんな具体的な夢を語ったのはほんの一握りで、家業を継ぐ!なんて子は…。夢を見ないのか、夢を見られないのか、いずれにせよ私たち大人が夢や希望を持ってないからなのではないかと思いました。 テレビや雑誌では、最近〇〇葬なるものを良く目にします。ただ遺体を焼くだけの「直葬」、唯一残る亡骸も海にまいてしまう海洋葬、大事な家族のお骨さえも他人任せにする「ゼロ葬」、などなど…。これらには「葬」という言葉が入っていますが、「葬」の目的である“敬い”“弔い”などの供養の心は見当りません。ただ、大切な家族を“処分”しているだけです。 この世が終われば全ておしまい。人は生まれた時から死に向かって突き進んでいるのが人生だと思いこんでいるのでしょうが、このような背中を見て育つ子供たちが明るく楽しい未来を描くことなど出来るわけがありません。親を敬い、人を敬い、時を大切にする。生と死という命と向き合い、この世の命を終えた後にも素晴らしい世界がある、そう思えるのが信仰というものです。         合掌

おてらからのおたより  ―平成27年1月のことば― 

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  「私がしなけりゃ 誰がする 今しなければ いつできる」 新年が皆様方にとって幸多い年となり、そして、世界が昨年より少しでも平和になるようお祈りいたします。本年もどうぞよろしくお願いいたします。 〝震災中〟3年 10 カ月  あたたかな我が家ではなく仮設住宅で3度目の正月を迎えた人がいます。寺の行事は元より、ご詠歌や念佛講にも進んで参加されていたAさんは、石巻の西光寺の檀家さん。寺の門前に住み、小さな雑貨屋を営んでいましたが、平成 17 年にご主人を亡くされ、平成 20 年には長男にも先立たれ、お嫁さんと孫娘と3人で仲良く暮らしていました。来月からは東京の大学に進学する孫ともいよいよ離れて暮らさなければならない、そのことを渋々受け入れた矢先、あの震災が起きてしまいました。 街の病院にいたAさんは、我が身のことより仏壇の花やご主人と長男の位牌が気になり、周りの制止を振り切って自転車で我が家へと向かい、仏壇の無事を確認後、すぐに高台へと向かい、間一髪逃げきることが出来ました。そのわずか数分後には、仏壇もろとも住み慣れた我が家は跡形も無く流されてしまいました。 しばらくは避難所や親戚の家にお世話になっていましたが、何時までもそうはしていられません。3人は話し合い、孫とお嫁さんの二人は、孫の進学に伴って後ろ髪を引かれながらもお嫁さんの実家のある東京へ引っ越し、残されたAさんは、周りには田んぼしかなく、誰ひとり知り合いもいない仮設住宅に一人入居することになりました。それから3年…。 最近では、復興住宅の話が具体的になり始め、Aさんも生活が便利な場所を望みますが、倍率が高くなかなか希望通りにはいきません。「1年半後か?2年後か?お寺の近くに建つ復興住宅に入っからさ」 そう言って微笑むAさんは、昨年末、 80 歳になりました。  丁度、今頃はお婆さんの美味しい料理を食べたいと里帰りした孫と、仮設住宅で二人の正月を過ごしている筈です。 結露が酷く、カビが生えるプレハブの仮設住宅から一刻も早く復興住宅へ移り、穏やかな正月を迎えられることを願ってやみません。   風化している?させている?  震災から4年が経とうとしていますが、震災以前の生活と変わりなく過ごしていると、同じ仙台市であっても、同じ宮城県内であっても、大変な暮らし...

おてらからのおたより  ―平成26年12月のことばー

  「“私の身にもなってくれ”この言葉は、人の身になる難しさを表している」   チラチラと雪が舞う季節となり、今年もあとわずかとなりました。この時期、私を煩わせるのが踵のひび割れです。時々、クリームを塗ったり、厚くなった部分を削ったりしますが…。「そんな大きな体して、なに踵のひび割れくらい…」と言われるのが関の山なのですが、当人にとっては、歩くたびにチクリとして、本当に嫌なものです。  震災から4年を迎えようとしていますが、ここにきてあちらこちらの裁判がクローズアップされています。私と妻が卒園した日和幼稚園は和解に至りましたが、多くの子供達が亡くなった大川小学校、山元町の保育園、防災無線の故障や間違った誘導によって沢山の方が亡くなった閖上、女川の七十七銀行、などなど…。 様々な所で、心無い言葉を耳にすることが多くなってきました。「裁判をしても亡くなった子供は帰って来ないのに…」、「後ろを振り返らず、もっと前を向いて生きればいいのに…」、「そんなにお金が欲しいの?」。被災者はあくまでも遺族です。大事な家族が帰って来ないのは遺族が一番分かっていますし、お金が欲しくて裁判をしている人は一人もいません。当事者の身になり、心ある優しい想いで見守りたいものです。                          合掌 ※遺族の心の声を聴く会が開かれます。 『震災フォーラム』 12 月 20 日 午後1~5時 アエル 28 階エルソーラ仙台大会議室 入場無料  年末の忙しさにも心を無くさぬよう、お念佛をしっかり称えましょう。 

おてらからのおたより  ―平成26年11月のことばー

  「尊い命 尊い今日」   朝夕の冷え込みに冬の気配がします。気温はどんどん寒くなるのにもかかわらず、雑草はにょきにょきと出てきます。この間、綺麗にしたばかりなのに、との思いもしますが、こんなところに生えてこなければ抜かれることも無かったのにと、申し訳ない思いで抜く時もあります。どちらにせよ草の命を抜いていることに違いはなく、「ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ~」の歌詞が浮かびます。 この『手のひらを太陽に』を作詞したのは、アンパンマンの作者・やなせたかしさんですが、その歌詞には、 「僕らはみんな生きている、生きているから歌うんだ。 僕らはみんな生きている、生きているから悲しいんだ」とあります。「なぜ生きているから悲しいんですか?」とよく質問されたやなせさんは、「悲しむことが出来るのは、生きているからなんだ。生きているからには傷つくことも多い。それを乗り越えた時は嬉しくなる。悲しみと喜びはウラとオモテ。悲しみがなければ喜びもない。不幸な時にはじめて幸福のことが分かる」と、答えていたそうです。 昨年、94歳で亡くなられたやなせさん。最晩年には「まだ死にたくねぇよ。面白いところにきたのに。俺はなんで死ななくちゃいけないんだ」と世の無常を嘆いておられました。生きているから悲しい、苦しい。でも、いま生きているから称えられるお念佛を共々にお称えしましょう。                合掌

おてらからのおたより  ―平成26年10月のことばー

  「現在は 過去の集積である 未来は いま重ねつつある」   焼きナス、煮びたし、田楽、天ぷら、などなど。“秋ナスは嫁に食わすな”の言葉のように、ナスの美味しい秋本番を迎え、街路樹の落ち葉も増えてきました。  おもてを掃きながら道行く人々を見ると、歩きタバコに歩きスマホ、歩きアイスに歩きご飯の人まで…。どれも感心しませんが、この「歩き〇〇」の元祖と言えば二宮金次郎が思い浮かびます。 まきを背負い本を読みながら歩く姿は、「勤勉」の大切さを表わしていると習いましたが、実はあの姿には、もっと深い意味が込められているといいます。 それは本を読むことや勉強することは大切なこと。しかし、もっと大切なことは働くこと。更に大切なことは、どんな時でも諦めず、くじけず一歩前に足を踏み出す大切さを表わしているのだそうです。  ある時、ナスを食べていた金次郎は味に異変を覚えます。ちょうど田植えが終わった頃に食べているのに、なぜか秋ナスの味がする。秋の味と言う事は次に来る季節は冬。きっと今年は冷夏になるだろうと気付き、植えたばかり稲を抜き、寒さに強いそばなどに植え替え、飢餓から村の人々を救ったといいます。 美味しい美味しいとだけ秋ナスを頬張る私達ですが、行く末を見据え、お念佛だけは肌身離さずお称えしたいですね。                  合掌

おてらからのおたより  ―平成26年9月のことばー

  「すがたより 香りに生きる 花もある」 ようやくしのぎやすくなってきて、おもてなしも冷たい麦茶よりも熱いお茶やコーヒーの方が有り難い季節となりました。 昨年の流行語大賞に選ばれた「おもてなし」という言葉。「もてなす」の丁寧語であり、その語源は「“モノ”をもって成し遂げる」という意葉だといいます。このもてなす“モノ”には、目に見える物質的な“モノ”と目には見えず形にもならない“モノ”、すなわち「まごころ」の二つの意味が含まれているそうです。また、裏表のない心「うらおもてなし」も語源とされています。 外国のレストランやホテルでは、店員のサービスに対して、チップをおくる習慣がありますが、日本人はこのチップ制度になかなか馴染めません。それは、日本では、どんな客に対しても無償で同じように丁寧に扱ってくれるのが当たり前だからです。 至れり尽くせりだからと言って「サービス」をするのではなく、見返りを求めず相手に礼を尽くす。「おもてなし」には、そのような精神が宿っていなければなりません。 秋のお彼岸。あなたの供養は、サービスですか?おもてなしですか?亡き人に真心こめておもてなししたいものです。 合掌 ※先月、山津波によって亡くなられた方々の安穏を念じ、それぞれお念佛をお称えしましょう。             

おてらからのおたより  ―平成26年8月のことばー

  「幼な子に 合わせてみせる この両手」 夏真っ盛り。先日、炎天下のなか、赤ちゃんを抱っこするお母さんの姿がありました。さぞかし暑くて大変だろうなと眺めていると、お母さん、赤ちゃんのおでこに“チュッ”。誰に見せる訳でもないけれど、何ともほっこりさせられました。 様々な復興計画が進むなか、残念な話を耳にしました。新設を予定する岩沼市の火葬場が、地域の住人に反対されているというのです。以前、同じような話が東松島にもありました。震災時、山形や岩手まで行かなければ火葬も出来なかったのに…。 震災で移転を余儀なくされたお寺さんも、移転予定地の近隣住人から「近所で礼服姿の人を見る機会が増えるから嫌だ」と言われたと聞き、愕然としました。 誰もがいずれお世話になるのに、自分だけは嫌なんですね。臭いものには蓋をすればいいんですね。昔の教えはそうでなかったはずです。人が嫌がることを率先して行い、あるべき姿をしてみせる。そんな大人の姿が求められています。 お盆の季節。亡き方々にそっと手を合わせる、そんな後ろ姿を子供たちや孫たちに見せましょう。 レジャーも結構ですが、家族揃ってお墓参り・寺参りしませんか?ご先祖さんたちも待っています。         合掌