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7・8月のことば

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    「君しばし 弥陀のみもとに 待ちたまえ やがてはともに 同じ蓮(はちす)に」 東日本大震災において大切な人を亡くされた方の中には、どんなに凍えるような凍てつく日でも、どんなに汗が流れる暑い日でも、入浴時に浴槽に入れない 人がいます。 それは、亡き人への後悔の念や申し訳なさなどからです。 そんな人々が、自責の念に捕らわれることなく少しでも穏やかな日々を過ごせることを願い、東日本大震災慰霊のための『約束のあみださま』を造立しました。 名称は、阿弥陀さまが私達に対して「我が名を呼ぶ者を必ず救い摂る」と誓われたお約束から『約束のあみださま』と命名し、阿弥陀様に極楽の蓮の台に救われた方々が、そのみもとで安らかに健やかに過ごされている様子をあらわしました。 遺族の方々や心に深い悲しみを抱えた人々が『約束のあみださま』に手を合わせることで、わずかでも心穏やかに過ごされるように願っています。 この世を去らなければならないのは世の定めですが、お念仏を称える私達は先立たれた方と同じ蓮の台において再び逢えることが約束されています。 それまで大切な人にはしばしお待ちいただき、自らの時間を大切に過ごしたいものです。                            合掌

6月のことば

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  「与えることは失うことではなく 心に豊かさをもたらす」 先日、地下鉄に乗っていた時の事。車内は混雑していて空いている席はありませんでした。何駅が過ぎ、とある駅で大きなベビーカーを押しながら 2 人の幼い兄弟を連れたお母さんが乗車してきました。 かつての我が家を見るようで、「お母さん、一人で大変だな」なんて眺めていたら、優先席に座っていたおじさん(おじいさん?)2人がサッと立ち上がり、そのお母さんと幼子たちを席に座らせました。1人の方は 2 つ先の駅で何事も無かったように下車し、もう1人の方は吊革に摑まりながら兄弟に話しかけ、2人はニコニコと微笑んでいます。 2人のおじさん達のとても手際よく、とても自然な行動を目にし、見ていた私も 心豊かになり 思わず笑顔になりました。 仏教者が心掛け実践すべきことの1つに布施行(ふせぎょう)があります。 布施は清らかな心で他者に施しをすることですが、施すものは物質的な財物だけではありません。 無財の七施と言って財物が無くても他者に布施を為すことのできる七つの行いがあります。 ①眼施(げんせ)相手を憎むことなく、好ましい眼差しで接する事。 ②和顔悦色施(わげんえつじきせ)和やかな喜びの顔つきで接する事。 ③言辞施(ごんじせ)相手に柔らかい思いやりのある言葉を掛ける事。 ④身施(しんせ)相手を敬い、我が身を惜しむことなく、他に尽くしていく事。 ⑤心施(しんせ)善い心で相手の立場にたち心を掛けていく事。 ⑥床座施(しょうざせ)相手に座席を設けたり、譲ったりする事。 ⑦房舎施(ぼうしゃせ)自分の家を一夜の宿として提供する事。 できること、できないことがあるにせよ、 せめて柔らかな眼差しで人に接したいものですね。

5月のことば

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  「春風をもって 人に接す」 薫風かおる季節を迎えました。流れる風が見えるかのような麗らかな春の陽が心地良いです。   先日、友人からこんな話を聞かされました。 友人が小学生の時に贈った母の日のプレゼントと手紙を、未だにそのお母さんが大切に保管されているというものでした。 ただ喜ぶ顔が見たくてお小遣いをコツコツ貯めた想いに温かな気持ちになりますし、半世紀近く過ぎた今も宝物として大切にされている母の想いに、こちらまで豊かな 気持ちになります。   「春風をもって 人に接す」   今月は母の日の月。 綺麗な花とあたたかな言葉を贈りましょう。 もし、すでに鬼籍にあれば、お墓やお仏壇の母に想いを伝えましょう。きっと、喜んでくれますよ。 そして周りの人々にも、麗らかな春の風のような気持ちと言葉で接しましょう。より心地良い月になりますように。

4月のことば

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  「水滴も やがて水瓶を 満たす(法句経)」   「水滴も やがて水瓶を 満たす(法句経)」 春を迎え、入学式や入社式で真新しいスーツ姿の人たちを多く目にします。陽気と相まって世の中が晴れやかにも見えますが、私はこの季節を迎えると、志望高校に合格できず辛かったことを思い出します。 当時は自らを夢破れた敗者のように思い、世の中の人がみな、私を憐れんでいるような気がしました。通学のために親元を離れて暮らし始め、週末に電車で帰省するのですが、途中の車内から入学できなかった高校が見えるために、しばらくはその高校が見えない側に座るほどでした。 でも、あの時の悔しい思いや辛い経験は、今の肥やしになっています。親元を離れて暮らした経験は今でも役立っていますし、希望通りにいっていたならば経験できなかったことを沢山経験出来ました。 今は空っぽに思える水瓶も、少しでも・僅かでも・歩み続けていれば、いつか一杯になる時が来ます。   お念仏も称え続けることが大切です。 中には悲しさや辛さから称えている人もいるかもしれません。 でも、先立たれた方が導いてくれたお念仏を称え続けることで、いつか水瓶が溢れんばかりの幸せな再会を果たすことが出来ます。 「水滴も やがて水瓶を 満たす」 日々のお念仏を大切に。

3月のことば

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  「 生きているということ いま生きているということ(谷川俊太郎)」   今年もこの季節を迎えた。   人によっては、寒さがやわらぎ春を感じられる季節。 人によっては、受験の結果を待つ不安な季節。 人によっては、花粉のせいで鬱陶しい季節。 人によっては、親しい友人との別れの季節。 人によっては、新しい生活が待ち遠しい季節。 人によっては、年度末で猫の手も借りたい季節。 人によっては、顔をあげたくもない季節 人によっては、テレビを見たくない季節。   人それぞれの季節。   「生きていること いま生きているということ」   大切に時を刻みたい。

2月のことば

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  「いいことが続かないのも 無常 悪いことばかり続かないのも 無常」   身を切るような風に、ついつい背中が丸くなってします。見上げる空もどんよりした日が多く、気持ちも何だか滅入ってきます。 姿勢も悪くなり、目に映る世界も知らぬ間に狭くなっています。   お釈迦様の教えである「諸行無常」という教えは、この世の物事はすべてがうつり変わり 常あるものなど無い、すべては変化し続けると示されています。 ところが当の私たちは、自らが幸せだと思うことが永遠に続けば良いと切実に願います。 楽しいこと、嬉しいこと、心地良い時間、かけがえのない環境など、誰もが失いたくないと目を背けても、移ろいゆくことこそが真実です。 一方でつらいこと、悲しいこと、目をそむけたくなるような状態も、無常の一コマです。   様々な状況にあっても、そこは到着点ではなく通過点でしかありません。 豊かなおもいの人は足元を見つめ、苦しい思いをされている人は大空を見上げ、共に「この世は無常、すべてのものはうつり変わる」と心にとどめたいと思います。

1月のことば

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  「照る月を おのが心に すみぬれば くらき路には 迷わざりけり」 《意訳》 阿弥陀様のお救い(照る月の光)を素直に我が心にいただけば、この世を暗くする憂いや煩いも払われ 信仰の道を迷うこともありませんよ   トランプ関税に米騒動、熊騒動に八戸沖の地震など … 。昨年は様々な「騒動」に動揺した一年でありました。それぞれの騒動は未だ続きますが、今年はあまり心が動かされずに日々過ごしたいものです。 心が落ち着き不安や心配がないことを「安心(あんしん)」と言いますが、仏教語では「あんじん」と読みます。浄土宗において「安心」は、私たちの心構えのことで、安心の「安」は安置するという意味です。 つまりお念仏を称える私たちにとっての安心とは、「 極楽を求め、阿弥陀様におすがりし 、 お念仏を称える 」ということをしっかりと心に安置する」ということです。 これら安心を揺るぎなくすることで、命尽きる時やその後の不安が解消されるのです。 昨年 4 月、義母を亡くしました。最期の時を過ごした病院の個室には、入院当初から小さな阿弥陀様をお祀りし、お念仏を称えておりました。 しかしながら、時間を共にした一人の人間が最期を迎えようとしていることは受け入れ難く、ベッドサイドのモニターに示される脈拍数や呼吸数、血圧などの変化に動揺していました。本人はより不安に駆られていたのかもしれません。 それでも少しずつ状況を受けとめ、最期は「大丈夫、もう頑張らくていいから。安心して行っていいから」とお念仏のなかで見送ることが出来ました。 法然上人のお言葉に 「弥陀の本願(ほんがん)ふかし、往生(おうじょう)はただ御(おん)こころにあるなり。ゆめゆめ御念仏おこたらず。決定往生(けつじょうおうじょう)のよしを存(ぞん)ぜさせたもうべく候(そうろう。」 「阿弥陀様が、我が名を呼ぶ者を救おうとなさる本願は、真に慈悲深いもので、私たちの往生は、もはや阿弥陀様の御心のうちに委ねられています。決してお念仏を怠ることなく勤め励んで、必ず往生するのだということをお知りになるべくです」とあります。 「安心」。 不安多きこの世の中ですが、阿弥陀様に極楽浄土へ救っていただくようにとの想いを揺るぎないものにし、日々お念仏をお称えしましょう。合掌

12月のことば

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    「水に源あり 樹に根あり」 10 月末、福島県の山深い地域において行われた慰霊法要に参列しました。 この法要は、福島県を流れる只見川上流に発電所を建設する際に亡くなられた方を慰霊する法要です。なぜ教誨師が慰霊法要を行うかというと、この電源開発作業の一端を担ったのが宮城刑務所の刑務官や受刑者であったからです。 戦後、国が復興の最重要課題としたのは電源開発の確保であり、この只見川開発工事は昭和 26 年より 7 年間に渡り、宮城刑務所からは刑務官 25 名、受刑者 250 名、延べ人員は 675,921 名が従事しました。 作業地は山深い難所というだけではなく、夏季には猛烈な暑さに苛まれ、冬季には氷点下 20 度もの厳しい寒さと 3 メートルを超える積雪に苦しめながらも、昭和 33 年 11 月 30 日、この大事業の完遂を見ることができました。 しかし作業中の事故により、 3 名の刑務官、 7 名の受刑者が亡くなられたのです。 スイッチを入れれば当たり前に部屋が明るくなり、暑さも寒さも凌げる。何不自由ない生活の源には、見ず知らずの方々の恩恵がある事を知らなければなりません。   「水に源あり 樹に根あり」   お念仏によるお救いも、阿弥陀様が仏(如来)となって〝我が名を呼ぶ者を必ず救い摂る〟というお誓いと艱難辛苦の難行苦行の末に、いま私たちの前にあることを忘れてはなりません。 年末の忙しい時期。こんな時こそ、〝源をおもい、根を見つめ〟心を込めてお念仏をお称えしましょう。                                                                                        ...

10月のことば

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  「自分の うしろ姿は 自分じゃ みえねんだなあ(相田みつを)」 仙台駅東口のロータリーはよく混雑します。週末の夕方などは、駅に人を送ってきた車と迎えに来た車が入り乱れ大混雑し、イライラとピリピリが溢れています。 大混雑の主な原因は、迎えに来た車が場所取りのために縦列駐車をしたり、後ろの車が通れないような自分勝手な停車をするためです。ロータリーに入れない車は、一般道を塞ぎ渋滞が起きてしまいます。 生活道路でもあるため、自分勝手な停車をしている車に対し、つい良くない感情が沸き上がってきます。たとえ口にはしなくとも、心の中は怒りの心が溢れています。   阿弥陀さまと向き合いお念仏を称えると、自らを俯瞰できたかのように、自らでは見えない自分の背中を感じられます。自らの身と口と心で数え切れない程の罪を犯し、知らぬ間に多くの人々を傷つけている事を想像させられます。 お念仏は 80 億もの罪を滅してくれるといいます。せめてもの罪滅ぼしの為にも、ひと声でも多くお念仏をお称えしたいと思う。    合掌         

9月のことば

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  「ただ頼め 頼む心があるならば                   南無阿弥陀仏を 声に 出 ( いだ ) せよ」   秋とは言えない暑さが続きますが、虫の音すだく頃となりました。 10 年ほど前、窓越しに聞こえてくる虫の鳴き声の大きさに驚き表に出ました。鳴き声をたずねると、どうやらそれは足元からではなく樹上から聞こえてきます。 木々で鳴く虫は蝉ぐらいしか思い当たりませんので不思議におもい、翌日調べてみるとその鳴き声の正体は日本固有の虫ではなく中国原産の『アリガタツユムシ』という虫であることが分かりました。 以来、それまで気にも留めていなかった虫の鳴き声に耳を向けるようになり、アリガタツユムシが日本各地に生息していることを知りました。 いつのまにか秋に鳴く代表的な虫になったアリガタツユムシですが、アリガタツユムシがあまり鳴かない虫であったならば、きっとこの外来の虫に気付くことも無かったことでしょう。 今月は秋のお彼岸を迎えます。 お彼岸は、お盆と同様にお墓参りのイメージを持たれているかもしれませんが、本来は普段以上にお念仏に励む期間です。 西方極楽浄土が 陽の沈む西の彼方にあることを意識しやすいからです。  苦しみや憂いが一切ない西方極楽浄土をおつくり頂いた阿弥陀さまは、全ての人を救い摂ろうと誓われています。しかし、救い摂るために「我が名を呼んでくれ」と仰っています。 阿弥陀さまは、この私を極楽へとお救いくださいと念じ、「南無阿弥陀仏」と呼ぶ声をたよりに救いに来てくださいます。 西方極楽浄土の阿弥陀さまへ、 先立たれた大切な方々へ届くように、そしてこの私が救われるように、秋の夜長に虫の音に負けないようお念仏をお称えください。                              合掌

8月のことば

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  「胸のうち 聞いてもらいに 墓まいり」 8 月は猛暑であったり豪雨であったり、広島や長崎の原爆投下の日や終戦記念日があったりと、身も心も追い詰められるような日々が続く。息をするのがくるしくなるようだ。 こんな季節だからこそ、亡き人と向き合い、亡き人と語らう時間が必要なのかもしれない。 あの人との楽しかった思い出や忘れていた別れの悲しみも蘇る。 亡き人と時間を共有しよう。 亡き人と向き合うことは、今の自分と向き合うことかもしれない。    合掌

7月のことば

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  「素直な心は人を強く正しく聡明にしてくれるのである」(松下幸之助)   蓮が美しい花を咲かせ始めました。鑑賞される方々の悦ばれる顔に、土の入れ替え時の腰痛も報われたような気がします。   先日、近隣の小学生の『弟子入り留学』を受けいれました。『弟子入り留学』は 4 年生の就業体験です。 おつとめ、写経、境内の清掃、お地蔵様などへの花あげなどをしてもらいますが、一番のメインは外の歩道の清掃で、特に時間を割いています。 私が子供の頃は、ラジオ体操をする場所や公園などを掃除させられましたが、子供会活動の縮小や生活様式や価値観の変化に伴い、教室や自宅などの「私の場所」以外の公共の場所を掃除する機会が無くなってしまいました。 その為に公共の場所は「私ではない誰かが掃除する場所」になり、ごみやタバコの吸い殻などが平気で捨てられるようになりました。今回の子供達も多くのタバコの吸い殻やマスクなどを拾いました。 閉会式では弟子たち(子供達)に、「ごみを捨てる大人ではなく、ゴミを拾う大人になるように」と伝えます。 わずかな経験であっても、子供たちは素直に良い・悪いをきちんと理解し、後日行われる弟子入り発表会では「私はごみを捨てない」という宣言を数多く聞かされます。   今月のことばは、戦後の日本経済を支えてくれた財界人の一人、松下幸之助さんの言葉です。 戦後80年を迎え、昨今、戦争に関して様々な意見を耳にします。 戦争をしてはいけない、人を傷つけてはいけない、自分も周りの人々も大切にする、という根本的なことを大人が子供にしっかりと伝える大切さを感じます。 小さなことの積み重ねが、やがて花を咲かせる気がしてなりません。

6月のことば

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  「念仏は いまと未来の 道しるべ」 先月、稚内のお寺へ行ってきました。 さすが北端の町、仙台では一月ほど前に散ってしまった桜が咲き、本堂ではストーブが焚かれておりました。 無事5日間の行事を勤め、帰路の為に空港に向かうと搭乗予定の便が欠航する可能性があるとのしらせ。 稚内は日常的に強風が吹くため欠航は珍しいことではなく、現に1日 2 便のうちの午前の便は欠航でした。 折り返し運航なので、稚内空港に着陸出来なければ出発地に戻り自動的に欠航になってしまいます。 待合室にいた搭乗予定の人々は、藁をもすがるような思いで着陸する飛行機を見守っていました。 いよいよ着陸態勢に入った飛行機は、肉眼でも確認できるほど強風に煽られグラグラと揺れながらも無事着陸することでき歓声と拍手が上がりました。 幸いにして私は、予定通り帰路に就くことが出来ました。   行く場所や 着く場所が定まらないことは、不安でしかありません。いや恐怖とも言えるでしょう。   この世の命を終えた時に私はどこへ行く? どこに行ける? どのようなところに行ける?   「この私」は、このような所に行くと明確に答えられますか? これらの問いを明確にしてくださったのが浄土宗を開かれた法然上人です。 法然上人はお釈迦さまの御教えの中から、阿弥陀さまのお救いを見出されました。貪る心や怒りの心、この世が常に移り変わることさえも受け入れられない者であっても、「 ナム・アミダブツ 、ナム・アミダブツ」と阿弥陀さまの名を呼べば、阿弥陀さまが西方極楽浄土へとお救いくださるというものです。 阿弥陀さまが、阿弥陀さまを呼ぶ声を探し出され、極楽浄土より呼ぶ者の目の前まで迎えに来てくださり、極楽浄土へとお連れいただけるのです。 お念仏を称える人は独り旅ではないのです。 日頃から心を込めてしっかりと阿弥陀さまの名を呼び続けましょう。             ナム・アミダブツ

4月のことば

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  「たしなみは 足元そろえる 心から」      新年度を迎え、新入生の楽しそうな姿を多く目にします。 麗らかな気候と咲き誇る様々な花々と相まって、見ているこちらまで気分が高揚するようです。彼ら彼女らの将来が、春の陽気のようであって欲しいと願わずにはいられません。   先日、車を運転中に信号待ちをしていると、とても楽しそうに会話を楽しむ新入生と思しき2人連れの女の子が、目の前の横断歩道を渡ろうとしていました。ところが横断歩道の信号はすでに赤になっています。どうやら、あまりにも会話が弾んでいて赤信号に気付いていない様子です。 道路は交通量の多い通り、まさかと思いながら注視していると、案の定こちらが待っている信号が青になっても気付かずに歩道を歩き続けていました。 歩行者と他の車線の車に注意を促すためにクラクションを鳴らすと、その音に驚いた女の子たちは、ようやく状況を把握し、あわてて安全地帯へ逃げ込み、振り向きざまに深々と頭を下げました。 思わず「危ないなぁ」と口走しりましたが、誠意をもってお詫びする二人の姿に、こちらが清々しくなる程の好感を覚えました。 と、ともに偉そうにクラクションを鳴らした私はどうなんだろうと考えさせられました。 普段の運転はどうなんだろう? 注意をしてもらった時に素直に聴く耳をもっているだろうか?などなど。 謝りっぷりの良い二人の姿に、何かとても大事なことを思い出させてもらえたように思いました。 まずは自らの足元を見つめ直す心から、新年度をスタートしたいと思います。

3月のことば

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           「かなしみを あたためあって あるいてゆこう」(坂村真民) 梅の花がほころび始めました。 なんだか心が「ふわふわ」します。 それはうららかな春の訪れを感じさせる「ふわふわ感」と 14 年前に引き戻され地に足がついていないような「ふわふわ感」です。 嬉しい想いとそんな心持ちで良いのかと葛藤する気持ちが混在し、胸が苦しくなります。 否が応でも見送ったたくさんの方々を思い起こしますし、今なお哀しみの淵にある遺族の方々の顔が浮かびます。一年でもっとも無常を思い知らされる季節です。 お釈迦様は「この世は無常であり、無常はこの世の真実である。その真実をそのまま受け止めれば、無常にあらがうことから生じる苦しみが解き放たれる」とお示しです。 形あるものはいつか壊れてしまい、生まれた命はいつまでも生き続けることが出来ない事は誰もが分かっているつもりでも、頭と心が一致させられないのが情をもつ私達人間であることを痛感致します。 哀しいのなら哀しいままでいい。 苦しいのなら苦しいままでいい。 心が落ち着かないのなら落ち着かないままでいい。 「そんなあなた達を私は見捨てない」と、仏となられたのが阿弥陀如来と言う仏さまです。阿弥陀様は全ての人を救い取るために「我が名を呼ぶだけでいい」という誰もが出来る救いの道をご用意いただきました。 そして、この阿弥陀様の救いを明らかにしていただいたのがお釈迦様であり、浄土宗を弘められた法然上人であります。   心苦しさは無くせないが、あるがままでいいお念仏を、心を込めてただただ称えたいとおもう。

2月のことば

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  「もらえば幸せ あげれば もっと幸せ」   先月末、レンタカーのハイエースを運転し埼玉県の北部に位置する本庄市に行ってきました。 この地にはベトナム人浄土宗僧侶であるタムチー上人が住職を勤める『大恩寺』というお寺があり、慈恩寺で使わなくなった座布団(60枚)と長椅子( 8 脚)を寄贈するためです。   そもそも寺でのおつとめと言ったら、座布団に正座が当たり前でしたので、どこの寺にも沢山の座布団がありました。 東日本大震災の際には、近隣の避難所へ貸出し、枕や布団代わりに使ってもらいました。しかし昨今では、現代のライフスタイルを合わせ椅子に腰かけ、冷暖房を効かせた割と快適な環境でおつとめをしてもらうようになりました。 使わなくなった座布団を処分するのも忍びなく、もらってくれるところは無いかと模索していたところ、大恩寺さんが手を挙げてくれたのでありました。 大恩寺さんは、若い技能実習生を中心とする敬虔な在日ベトナム人仏教徒が訪れる寺で、多くの在日ベトナム人の心の拠り所となっている寺です。 彼らには椅子よりも座布団の方が都合が良いのだそうです。  実はタムチー上人をはじめとして大恩寺に縁がある多くのベトナム人は、これまで毎年 3 月 11 日に私の実家である石巻・西光寺で行われる東日本大震災法要に参列する遺族や多くの僧侶やスタッフなどの為に、ベトナム料理の「フォー」や「揚げ春巻き」を何度も現地で布施してくれていました。 恩を受けてばかりで何か出来ないかと考えていたので、今回の寄贈は僅かながらの恩返しをすることが出来たうえ、座布団を受け取ってくれたタムチー上人や大恩寺の方々の笑顔にこちらの方がとても嬉しくなりました。  今月のことばは「もらえば幸せ あげれば もっと幸せ」 私も賛同し活動しているひとり親支援団体『おてらおやつクラブ』のポスターにある言葉です。  もらえば嬉しいけれど、あげた相手の悦ぶ顔が見れるのは、それ以上に幸せな気分になれます。寒い2月ですが、多くの笑顔に温かな気分になれる行動をしてみませんか。   おてらおやつクラブのホームページ「 https://otera-oyatsu.club/ 」

1月のことば

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    「強く願い、深く信じる」 浄土宗開宗851年目の新春を迎えました。  今年は昨年より少しでも健やかに過ごしたいものです。  さて、「一年の計は春にあり 一日の計は晨(あした:あさの意)にあり」と申しますが、年頭に当たり今年の目標を立ててみませんか。     「話を聞いて欲しい」  ある時、 四十代と思しき女性が寺にみえ、話を伺うことになりました。  聞けば、このKさんは、前年にご主人と悲しいお別れをされ、お骨は現在も自宅に安置されているとのこと。いつまでも傍に置いておきたいのだけれどもそうもいかず、どうしたら良いかと相談にみえたのでありました。  Kさんの悲しみはとても深く、ご主人との思い出やご自身の胸の内などを話されるのですが、話している時間よりも泣きじゃくる時間の方が長いほどでした。  気付けば二時間半が過ぎており、外も薄暗くなってきたので、「今日はこの辺にしましょうか」と切り出すと、また話を聞いて欲しいとの事でした。「私で良ければ話を伺いますよ」と答え、その後、二度三度と寺に足を運んでいただくことになりました。  顔合わせる度に、話す時間と泣きじゃくる時間の割合に変化が見え、当初の懸案であったご主人のお骨の安置場所も決めることが出来ました。  Kさんの様子を窺いながら、お会いする度に少しずつ阿弥陀様のお救いについて、お念仏について、そしてご主人と決してもう会えないのではなく、極楽浄土においてまた会えることをお伝えしました。  初めて耳にする話しに戸惑いながらも何度も何度も聞くうちに、戸惑いよりも“願い”が勝り、いつのまにかKさんは声に出してお念仏をお称えされるようになっていました。    翌年、Kさんは実のお父さんを亡くされました。家族で看取った大好きなお父さんの頬を撫でながら、「お父さん、お父さん」と泣きじゃくるKさん。しかし、出棺の時間であることを告げられると一変し、「お父さん、何も心配ないからね。うちの旦那が待っていてくれるから。」  「でもね、今までみたいに我が儘を言って旦那を困らせちゃだめよ」そう言って、家族一同泣き笑いで見送ることが出来ました。    お盆にお参りに見えた Kさんは 、境内に咲く蓮の花を 「綺麗ですね」 と褒めてくれました。続けて「有難いで...

12月のことば

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  「人の振り見て我が振り直す」 子供のころ、良く親に言われた言葉です。今となっては自分が親になり言われる事も無くなりましたが幾つになっても大切な言葉だと思いました。   先日、出張のために訪れた空港で、旅客が空港職員にクレームを付けている場面に出くわしました。えらい剣幕でクレームを言っていたのは60代と思しき女性、両手を前に合わせ何度も頭を下げながらクレームを聞いていたのは20代の女性。何が原因でどちらが悪いのかも知りませんが、クレームを聞いている女性が私の娘と同年代の為か、「何も出発前にそんなにガミガミ言わなくとも」と思わず眉をひそめました。でも立場を入れ替えて、私がとんでもないミスをされ大事な法務に支障が出たらどうしていたか?いずれにせよ自らの怒りを他人にぶつけている姿は格好の良いものではないことを気付かされました。日頃、すぐにプリプリしてしまう私は、これまで数えきれないほど格好が悪い姿を晒していたと恥かしくなりました。   「人のふり見て我がふり直す」 現代では、この言葉は悪いモデルを見て我が振りを直せとの意味合いが強いですが、元々は良いモデルを見て我が振りを直すことも教えてくれています。 他人を批判することは得意な昨今、他人の良いところこそを真似したいものです。   年末の気忙しい日々。 阿弥陀様をはじめ、お念仏を称えて極楽浄土へ先立たれた人々は、「私の振り」をご覧になっています。 こんな時こそ時間や気持ちに余裕をもって大らかに過ごし、しっかりとお念仏をお称えし、より佳き新年をお迎えしましょう。合掌

11月のことば

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  「わかちあうと 幸せはふくらむ」  今年もあと 2 か月。 11 月は年末とまで云わないまでも、なにか気忙しい気がしますね。 時間に追われ、知らず知らずのうちに気持ちの余裕も無くなっていることも多くあります。夜空の星を眺めたり、手を洗ってみたり、すぐに実行出来る心の中の空気の入れ替えをしてみませんか。  先日、よく利用するエレベーターでのこと。 用を終え、先にエレベーター内に乗り込んだ私。目の前のお婆ちゃんがゆっくりゆっくりと靴を履いています。普段なら、急かすのも迷惑だろうとドアを閉めて先に降りてしまうのですが、この日は待っていようと、「開」のボタンを押したままでお婆ちゃんを待ちました。時間にして 30 秒ほどだったでしょうか。ようやく靴を履いたお婆ちゃんが振り向くと、ドアを開けて待っていた私に驚かれました。「あらっ」と急いでエレベーター内に乗り込んできたお婆ちゃんは、エレベーターが来たことに気付いていたけれど、待たせるのが悪いから、わざとゆっくりと靴を履き、おまけに自分が気づいていないふりまでしていたとのこと。  そんな気を遣う必要もないのにと話す私に「やさしいのね、あなたのやさしさがとても嬉しいわ」との言葉を掛けてくれました。私は「こちらこそ、有り難うございます」と伝え、その場を後にしました。  高々 30 秒待っただけで、このお婆ちゃんから心が豊かになる感謝の言葉と素敵な笑顔の施しをいただきました。この施しを仏教では「和顔愛語(わげんあいご)」と言います。  人の顔は、その人の内面がつくると言います。  わずかなこと、いや微かなことであったとしても、和顔愛語を心掛ける 11 月にしませんか。

10月のことば

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  「たまには立ち止まってみてごらん 違った景色が見えてくる」   酷暑に涼を与えてくれた青々とした葉もいつしか茶色になり、落ち葉拾いに追われる季節になりました。 毎日毎日、枯葉拾いに追われるのは決して楽ではありませんが、考えようによっては頭の中を空っぽにしたり、書かなきゃいけない原稿を練ったり、様々なことに向き合うことが出来る貴重な時間でもあります。 秋は、「秋の日は釣瓶落とし」と例えられるように日が暮れるのが早くなり夜の時間が長くなります。   読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋 … 。   「日が短くなったね~」なんてぼやいてないで、〝自分に向きあう時間〟を提供してくれているそれぞれの秋を満喫しましょう。 もちろん普段以上にお念仏を称えることも忘れずに。